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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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大晦日の夜

18/01/28 コンテスト(テーマ):第152回 時空モノガタリ文学賞 【 酒 】 コメント:2件 秋 ひのこ 閲覧数:384

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 冷えると思ったら、雪が舞い始めている。結露に濡れた窓の向こうに色のない景色を見上げ、ヤスオはコタツから這うように上半身を伸ばし、ヒーターをつけた。
 95の母親が隣で小さく丸まってテレビを観ている。耳が悪いのに、音量は小さい。この人は1日中ほとんど動かない。
 柱時計を見上げる。午後4時を過ぎたところだ。今年も残すところあとわずか。といっても、65で退職して早や5年。日がな1日家にいるヤスオと、そのはるか前から家に篭もりきりの母にとっては今日は昨日と同じ、昨日は一昨日と同じ、明日の元旦は、明後日や明々後日と同じである。

 ヤスオは台所へ行き、一升瓶とグラスを取ってくる。変化のない毎日で、晩酌は唯一の楽しみだ。いつもは7時から呑み始める。少し早いが、大晦日だしまあいいだろう、と都合よく考え、コンビニで買ったつまみも幾つか掴む。さらに、水切りかごから醤油皿もひとつ取り出した。
 ヤスオはコタツの上にすべてを並べると、部屋の片隅から「相棒」を解放した。
「サケワナー、カラダニイイ、サケワナー、カラダニイイ」
 頭は黄色、体は鮮やかな黄緑の毛に覆われた小さなセキセイインコは、2年前に庭で見つけた。小さな町だ。飼い主を探して回ったが、誰も鳥など飼っていなかった。仕方がないので「キミドリ」と名づけ、飼うことにした。
 キミドリはぴょんぴょんと机の上を跳ね、つまみの袋をつついた。
「まあそう慌てるな」
 ヤスオはまず自分のグラスに酒を注ぎ、次いで醤油皿にもちょっぴり注ぐ。
「じゃあ乾杯」
 ヤスオが呑むと、キミドリはぴょんと醤油皿の縁に飛び乗り、中の液体にくちばしをつけた。それを見てヤスオは目を細める。
 そもそも2年前、ヤスオがこうして呑んでいると、インコがグラスの縁に足をかけ、中身に首を突っ込んだことでヤスオはキミドリを気に入ったのだ。
「うまいだろ。酒はな、カラダにいい」
「サケワナー、カラダニイイ」
 キミドリが質の悪いロボットのような声で繰り返す。ヤスオはこれも大いに気に入った。だがこの台詞は、ヤスオではない。前の飼い主から移ったものだ。キミドリが前の飼い主の口真似をして、今ではヤスオがそれを真似ている。
「キミドリ。長生きしてくれよ。相手がいなきゃつまらんからな」
「キミドリ、ナガイキシテクレヨ、キミドリ、ナガイキシテクレヨ」
 ヤスオはよく考える。この鳥があと8年位は生きるとして、自分はそうすると78。母はなんと103。この人はその辺まで生きていそうな気がする。
 親子そろって歳相応に健康。
 誰の世話も必要としない代わりに、誰からもあまり気にかけてもらえることもない。老いた親子ふたりきりの生活は、日の当たらぬ深い森を埋める枯葉のごとく、おそろしくゆっくりと沈むように過ぎていく。
 ヤスオは何故か、死ぬ気がしない。自分も、母親も。
 この歳で鳥に置いていかれるというのは、なんとも寂しい。 

「あたしもちょっとだけ呑もうかね」
 唐突に母が喋った。
「なんだよ突然。呑んだ途端コロっと逝っちまうんじゃねえ?」
 ぎょっとして言い返すと、母は垂れたまぶたの奥からぎろりと睨み、「鳥でも呑むんだ。酒舐めたくらいで死ぬもんか」と、目の前の湯呑みの中身を急須に戻し、そこに自分で酒瓶を傾けた。
「サケワナー、カラダニイイ、キミドリ、ナガイキシテクレヨ」
「長生きしろって鳥じゃなく母親に言うもんだろ」
 すぱっと言ってくいっと一気にあける。
 母はそれっきり呑まず、またテレビを見始める。ヤスオも時折キミドリと遊びながらちびちびやっていたが、やがて母がお手玉のようにくちゃりとなって眠っていることに気がつく。
 やれやれとヤスオは母を起こしにかかる。が、起きない。もう少し若ければひょいと抱きかかえられたかもしれないが、最近足腰が痛いし手も震える。ヤスオは諦め、枕を持ってきて母を横にした。肩まですっぽり毛布をかけてやる。

 早くに呑み始めたせいか、夜がとてつもなく長く感じる。まだ、7時。夕飯は年越し蕎麦でもと思っていたが、母が寝てしまったのでこのままちびちびやればいいか、とつまみの袋をまたひとつ開けた。
「もう少しつきあってくれよ」
 ヤスオはピーナッツの粉をつつくキミドリの背を指の腹で撫でた。
「夜が長過ぎてかなわん。夜も、人生も、長過ぎるなあ」
 ふと見上げると、今年のカレンダーが壁にぶら下がったままだ。12ヶ月。長いなあと思う。また同時に、恐ろしいほどあっという間に過ぎてしまうことも知っている。
「キミドリ、ナガイキシテクレヨ」
「そうだぞ。キミドリ、お前は長生きしろよ」
 除夜の鐘が聞こえる前にヤスオも眠ってしまうだろう。そうして、何もない1日が終わり、また何もない1日が始まる。
 窓の外では、荒れた庭に雪が音もなく降り積もっていく。


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このストーリーに関するコメント

18/01/28 文月めぐ

『大晦日の夜』拝読いたしました。
ヤスオと母とキミドリのゆっくりと時が流れていく生活。何もないかもしれないけれど、それでも日々が過ぎていくむなしさやはかなさが感じられました。

18/01/29 秋 ひのこ

文月めぐさま
こんにちは。
近年「活動的な若々しいお年寄り」が注目を浴びていますが、皆が皆、きらきら輝く老後を送れるわけじゃないと、変な反発心のようなところから出発しました(苦笑)。
ヤスオと母の平坦で淡々とした生活が伝われば嬉しいです。
コメントをいただき、ありがとうございました。

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