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黒猫千鶴さん

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ハートカクテル-疲れたあなたに寄り添うBar-

18/01/27 コンテスト(テーマ):第152回 時空モノガタリ文学賞 【 酒 】 コメント:0件 黒猫千鶴 閲覧数:992

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「いらっしゃいませ」
 仕事帰り。何も考えずに足を運んだバーの扉を開けると、カウンターの中に一人の女性バーテンダーが立っていた。彼女は業務的な挨拶を済ませると、すぐに手元のシェーカーに視線を落とす。布巾で磨かれた銀の器は、照明の光を反射させた。
 店内を見回すと、僕以外の客は誰もいない。いわゆる貸し切り状態だ。
 カウンター席は五つ、テーブル席が三つとこじんまりしてる。でも、そこが何となく落ち着く。一人できた身ってのもあり、テーブル席を占領するのは気が引ける。僕はカウンターにある椅子に手をかけ、腰を落とした。

 辺りを見回すが、どこにもない。天井にも、壁にもない。彼女の手元にはもちろんなく、その後ろにある棚にはビッシリと酒の瓶が置いてあるだけ。

 飲食店にはあるはずの【アレ】がない――

「あの、メニューは?」
「メニューはございません」
「え!?」
 彼女は驚く僕を見て、目を丸くして首を傾げる。まるで、「何をそんなに驚いてるの? おかしなお客さん」と言わんばかりの顔をしてる。
「じゃあ、オススメは?」
「オススメもありません」
 金色の髪、短いポニーテールを揺らした。何事もなかったように、今度はグラスを拭く。対して、僕は呆然とするだけ。
 メニューもない、オススメもない……これは、あれだ。一見さんお断りの店だったのかもしれない。
(格好つけてバーなんて入るんじゃなかった……)
 会社の飲み会はいつも居酒屋で、こんなオシャレな店じゃない……って言ったら、いつも行ってる店に失礼とは思うけど。
 スーツのポケットに入ってるスマホが、音を立てて震えた。手に取って見てみると、そこには上司からの連絡が飛んできていた。すぐに返事をしないと。でも、今日は残業も終わった。まだ既読にはしてない。僕は目をしっかりと閉じて、スマホをポケットに仕舞った。
「お仕事ですか?」
「え?」
 ドキッ、とした。
「あ、いや、これは……」
「すみません、無粋な真似をしました。せっかくお仕事が終わったのですから、ゆっくりしたいですよね」
「そ、そうなんですよ。今日も上司の無茶な注文受けて、先輩の仕事を押し付けられて……」
 あれ、何でだ?
「本当、毎日毎日嫌になります……」
 こんなこと言いたい訳じゃないのに――
「言われたことをこなすのも、大変なんですよ……」
「なるほど」
 彼女は小さく頷き、後ろの棚から一つの瓶を取り出した。
 シェーカーよりも小さい器を手に取り、棚から出したウォッカを注ぐ。その他の液体もシェーカーに入れて、両手でしっかりと持ち、振り始める。小気味良い音が、店内に響いた。

 目を閉じて振るう彼女は、どことなく美しい――

 シェーカーの振る音が、徐々に消えてく。彼女に見惚れている内に、カクテルが出来たみたいだ。それは小さな音を立てて、カクテルグラスに注がれてく。彼女のスカイブルーの瞳に、グラスを満たす酒の色――オレンジが映った。彼女はオレンジの皮を振りかけて、僕の手元に差し出す。
「こちら“アキダクト”になります」
「アキダクト……」
「こちらはウォッカ、キュラソー、アプリコット・ブランデーを使用しております。まとまりのある味わいに仕上げるのに、ライムを入れました」
 僕はグラスの脚部分をつまみ、口元に近付けた。ふっ、と優しいオレンジの香りが、鼻腔を刺激する。
「アキダクトのカクテル言葉をご存知ですか?」
「カクテル言葉……?」
 あまり訊き慣れない単語だ。
「花に花言葉というものがあるように、カクテル言葉というものがあります」
「へえー……」
「アキダクトには、“時の流れに身を任せて”という言葉があります」
「時の流れに、身を任せて……」
「何かお悩みのように思いました。たまには時には流れに身を任せてみるのもよろしいのではないでしょうか」
「はぁ……」
「しかし、身を任せるというのは、諦めるとは違うということを……お忘れなく」
 僕は、何も言い返せなかった。
 確かに最近の僕は、仕事をないがしろにしていたところもあった。上司に言われたから仕方がない、先輩に言われたから仕方がない。そう自分に言い訊かせていた。これが社会人だって――でも、それは全て諦めだったのかもしれない。
 作ってくれたアキダクトの香りが、僕を包み込む。カクテルグラスを指先でなぞり、深呼吸をした。

「明日の仕事もがんばろ……!」

「またのご来店をお待ちしております」
 支払いを済ませ、再び店の扉を押し開ける。彼女の声に振り返ろうとした、その時。

 目の前にあったはずの店の入口が、消えた――

 ドアが開き、鈴の音が店内に響く。
「いらっしゃいませ」
 私はグラス磨きから顔を上げて、優しく微笑む。
「ようこそ、あなたの疲れに寄り添うバー……ハートカクテルへ」


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