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向本果乃子さん

目をとめて読んでいただき嬉しいです。読者としても、自分には書けないジャンル、アイデア、文体がたくさんあって、楽しみながらも勉強させて頂いてます。運営、選考に携わる皆さんにはこのような場を設けて頂き感謝しています。講評はいつも励みになります。読んだ後、読む前にはなかった感情が生まれたり、世界が少し違って見えたり、自分が実はずっと心に持っていた何かに気づかされたり、登場人物のその後を考えてしまったり…そんな小説を書けるようになりたいです。

性別 女性
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今はただゆるゆるとほどける。そして、飛ぶ。

18/01/25 コンテスト(テーマ):第152回 時空モノガタリ文学賞 【 酒 】 コメント:0件 向本果乃子 閲覧数:253

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プルリングを開けて缶のまま口をつけ、ほんのり甘く炭酸を含んだそのアルコール飲料を喉から胃に流し込む。はぁ。体に染みわたるアルコールに力んでいた節々が緩む。噛み締めていた奥歯、こめかみ、首筋、肩、背中、腰。一日張り詰めていた筋肉がゆっくりとほぐれてゆく。もちろん、実際の筋肉はアルコールでほぐれたりはしない。だからそれは私の心が緩んで、結果として体に入っていた力が抜けているだけのことだ。お酒を飲まないと力を抜けない。体も心も張ったままになってしまう。じわじわと酔いが染み渡り、少しずつふにゃふにゃになってゆくのがたまらない。あっという間に一本飲み終えて、二本目を開ける。二本目を半分飲んだくらいで頭も少しぼんやりしてくる。頭蓋骨がほぐれる。目の奥が柔らかくなる。そうやって少しずつ少しずつ溶けてゆく。昼間の自分がまとっている重くて堅い殻を破り捨ててそれと同時に心に付けていた鎧も捨てる。ああ軽い、軽い。

ここは私だけの居心地のいい部屋。お気に入りの部屋着で柔らかい色で調えられたリビングにくつろぎ、大きなテレビ画面に五人組のアイドルが歌って踊るコンサート映像を流す。お気に入りの少女漫画をぱらぱらめくる。大好きなチョコ菓子のカプリコを囓る。ソファを背もたれに床に座りこみ足を投げ出し二本目も飲み終えて次はワインを開ける。

微かに頭のどこかで上司の声がする。確かに君はすごいよ、だけどみんなが君みたいにできるわけじゃないんだから。

トイレで私がいると知らずに話していた部下たちの声。藤堂さん三十九才独身でしょ?英語はネイティブ並だしプロジェクトやれば必ず目標達成するとか。年俸一五〇〇万で高層マンション暮らし。服も靴も高級なの身につけて髪もお肌もお金かけてるって感じ。でも…ああはなりたくないよね。いつも冷静で部下に無理なんて言わないけど、全部自分でやっちゃうところがね、隙なさ過ぎ。あれじゃ男は寄ってこないよ。

同期の妊娠と結婚と退職を告げる声。妊娠したら結婚して育児に専念しようって決めてたの。がむしゃらに働いてきたように育児に集中したい。私、家族がほしかったみたい。今すごい幸せなの。やっぱり亜貴みたいに強くなれないや。

酔いが回ってくると共にそんな声も消える。この部屋にいるのは全身の力を抜いて誰の目も気にせず好きなものだけに囲まれて至福の時を過ごす誰も知らない藤堂亜貴だ。私がお酒を飲むのはこの部屋でだけ。会社の人たちはまさかあの藤堂が酔っ払ってだらしなく寝そべって少女漫画を読んで笑ったり涙したり、アイドルを観て幸せ感じたり、菓子が好物だったりなんて思いもしないだろう。

どっちが本物、偽物なんてことはない。どちらも私だ。外で誰かの前に出ると自然と鎧をまとってしまう。学校、会社はもちろん、実家ですらそうだった。体中に力が入り気も張ってしまう。ちゃんとしたい、ダメなところは見せたくない。そう思ってしまう。例えそれでかわいげがないと言われても、それでも私は失敗も手抜きもしたくなかったし成果を出したかった。小さい頃からそうだったから生まれ持った性質なんだろう。お酒が飲めなかった若い頃は力を抜ける時がなかった。昔から偏頭痛が酷かったのもきっとそんな性質のせいだ。仕事人間になりたかったわけでも結婚したくなかったわけでもない。ただ必死で生きてたらこうなった。

そんな私が自分の部屋を持ち、お酒を知ってから、酔ってる間だけ自分をほどくことができるようになった。昼間辛いことがあって堅い体と心が粉々に砕けそうになっても、家にお酒があると思えば、何とか一日を終えて、ほどけて、そして次の朝を迎えることができる。お酒は痛みも落ち込みも暗い思考も麻痺させる麻酔のようだ。あるいは麻薬だろうか。そう考えると少し罪悪感を覚えるけれど、酔った私は体も心も軽くなり、ひらりと飛べるような気にすらなる。

振り向けば背中にきれいな虹色の羽が生えている。部屋の壁一面の大きなガラス窓に近寄る。広く眼下に夜景が広がる。私は飛ぶことができる。ひんやりした窓ガラスに額をつけて外を眺める。夜空と街の薄明かり。その狭間を私は優雅にすーっと飛べるだろう。何もかも、一人で抱えるにはいつの間にかすっかり重くなってしまった数々の矛盾を孕んだ自分をほどき、緩く、柔く、軽くなった私は飛べる。窓に両手の平をぺたりとつけて、酔ってふにゃふにゃの頭で暗い空にいる私を思う。高層のこの部屋の窓は決して開くことはないけれど。それでも私は毎晩この部屋の窓から飛び立って舞うのだ。ガラスの冷たさが酔って火照った肌に気持ちいい。私は目を瞑りうっすら微笑んでいる。たった一人で暗い夜を軽々と飛んでゆく自分にうっとりする。酔いが醒め、再び重く堅い体と心を身にまとうのはまだ数時間は先の話だ。

今はただゆるゆるとほどける。そして、飛ぶ。


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