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宮下 倖さん

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ベランダの月

18/01/15 コンテスト(テーマ):第151回 時空モノガタリ文学賞 【 あばずれ 】 コメント:0件 宮下 倖 閲覧数:302

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 見上げた月は満月には少し欠けていた。
 なまぬるい風が腕を撫でていく。白いパピコは手に触れているところからゆっくり柔らかくなっていった。
 アパートのベランダで、隣室とを隔てる板の向こうからムーンリバーの歌声が聴こえてくる。英語の歌詞があいまいなところは相変わらずハミングで押し通していてちょっと笑えた。
「ナツキさん、パピコとけてきた?」
 私は板の外側へ顔を出し、となりのベランダを覗き込んだ。
「うーん。まあまあかな〜」
 私のパピコの片割れを持ったナツキさんは咥え煙草でもごもごと言う。
 変に甘ったるいにおいが流れてきて私は顔をしかめた。
「ねえナツキさん、煙草やめなよ。体に悪いよ」
「こんなもんでも吸わなきゃやってらんない程度にはオトナなのよね〜あたし」
 二十歳の私とたいして違わないくせにと思う。
 私は課題に追われる短大生だけど、ナツキさんは働いている。たぶん夜の仕事。
 そこを切り取って「オトナ」と言われるとうまく反論できないけど、つい最近まで面識すらなかったアパートの隣人とベランダで月を見ながらパピコを分け合っているというのは「オトナ」にしては滑稽だろうに。
 たまたまスーパームーンの夜、たまたま同じ時間にベランダに出て、たまたま「すごい!」と同時に叫んだことがきっかけで、私たちはときどきこんなふうに話す仲になった。
 部屋を行き来したりはしない。ベランダで板を隔てて話すだけ。お互いのことはほとんど知らない。私は「ナツキ」にどんな漢字をあてるのか知らないし、ナツキさんも私を「ハルちゃん」と呼ぶけど、ハルミなのかハルコなのかハルカなのかは知らないはずだ。でもこの距離感が心地いい。
「ねえハルちゃん」
 ナツキさんはベランダの手すりに載せたコーヒーの空き缶に煙草を入れ、ほどよく柔らかくなったパピコの上部分をちぎった。あふれたところをちゅっと吸ってから続ける。
「あばずれってヤクザ映画くらいでしか聞かないなあなんて思ってたけど、実際言われるとけっこうショックだね」
「誰かに言われたの?」
「んー、ちょっとね。……あたしさあ、男の人にさみしいって言われるの弱いのよ。傍で言われたらついつい抱きしめちゃうのよ」
 たぶんそれは、抱きしめちゃうだけじゃ終わらなくて、しかもひとりだけにじゃないんだろう。
 ナツキさんは「さみしい男の人」に弱いんじゃなくて「さみしさ」そのものに弱いんだ。
 だってナツキさんもきっとさみしいから。そして、それがわかっちゃう私もさみしいんだって思う。
 あっという間にパピコを食べたナツキさんは「美味しかったあ」と笑うと新しい煙草に火をつけた。
 そしてまた、あいまいなままのムーンリバーを歌いだす。
 たまたまアパートの部屋がとなりだっただけの知らない者同士。知らなくていいことは知らないままでいい。
 ナツキさんの掠れた歌声と分け合ったパピコの冷たさと、満月に少し足りない月の明るさがすべてでもいい夜だってあるのだ。

 アパートの駐車場にパトカーが停まったのはそれから一週間くらい経った頃で、私の部屋にもすぐに警察官が来た。
 数日前に近くの河川敷で見つかった女性の遺体の身元がわかったのだそうだ。
 ナツキさんのことを訊かれ、私は「なにも知りません」と繰り返した。
 彼女のことについて誰かに話せるものがひとつもないことに愕然とした。
 その夜、アパートの大家さんが私を訪ねてきた。ナツキさんの隣室だったことで警察の事情聴取を受けた私を気にしてくれたらしい。
「迷惑かけて申し訳ないねえ。あの人が風俗関係の仕事だったとは知らなかったのよねえ。複数の男性との痴情のもつれらしくて……あばずれ女の自業自得……」
「違います!」
 思わず手のひらでドアを叩いてしまった。私の剣幕に押され、大家さんはそそくさと帰っていった。
 心配して来てくれたのに悪いことをしたとは思ったけれど、どうにも我慢できなかった。
 ナツキさんはあばずれと呼ばれることを嫌がっていた。たとえ周りからはそう見えたのだとしても、そんな括りかたをされるのは私が嫌だった。
 ナツキさんのことはほとんど知らない。
 私が知っていることといえば、いくら言っても煙草をやめなくて、すぐムーンリバーを歌いたがるくせに歌詞を覚えようとしなくて、パピコと月が好きだったナツキさんの一面だけだ。
 だけど、数少ないことだから私はきっと一生おぼえていられるだろう。
 私はパピコを持ってベランダに出た。 
 手の中でなかなかパピコはとけてくれないし、片割れを受けとってくれる人ももういない。
 満月を超えた月はふたりで見たときより大きく欠けていて、やがて雲の中に隠されてしまった。


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