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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。 (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。 ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
性別 | 女性 |
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将来の夢 | 星座になること |
座右の銘 | 珊瑚の夢は夜ひらく |
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このストーリーに関するコメント
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マホガニーのダイニングテーブルの上に、落花生の殻がこんもりと積まれている。暖炉の火は酸素を吸って身もだえながら揺れる小さな生き物のようだった。
「琴子さん、落花生はほどほどにしておいたら? またお顔に吹き出物が出てもしらなくてよ」
姉の文子が妹に声をかけるが、琴子はその手を止めない。腹の大きな文子は、陽だまりに置かれたゴブラン織りの安楽椅子に座り編み物をしている。
「まあ、お姉さま、吹き出物が怖くて落花生を食べないなんて愚の骨頂よ。妙さんが茹でた落花生は日本一、いえ世界一よ。妙さーん、もっとないの?」
彼女らは一卵性双生児だった。たった五分早く産まれただけで姉と呼ばれる文子の事を疎ましく感じたのはいつの頃からだっただろう、と琴子は思う。双子を産み、ほどなくして母は病死した。しっかり者の姉は、同じ年だというのに母のようにも感じつい反発したくなった。小さい頃から勉強でも運動でも姉に勝ったことはなかった。唯一のとりえといえば絵を描くことくらいだった。
「はい、お嬢様」
台所から白いエプロンを着た中年の女中が出てくる。手には青い薔薇が絵付けされたマイセンの平皿。載せられた落花生はまだほんのりと温かい。
呆れた顔の文子が口を開く。少し意地悪をしたくなるのは妊娠してホルモンバランスが崩れたせいかとも思うが自分では止められない。
「あなたが世間でどう言われてるのか、ご存じ?」
文子の右眉が上がる。
「さあ、お姉さまみたいに褒められてはないでしょうね」
旧華族の父は官僚。文子は女学校を出てすぐ、見合いで帝大出の父の部下と結婚し養子をとってこの家を継いだ。結婚披露宴は出来たばかりの目黒雅叙園で盛大に行われた。豪華な婚礼衣装姿を着た自分と瓜二つの顔の女に向かって、琴子は精一杯の作り笑顔を浮かべた。
敷かれたレールの上を歩くなんて、つまらない。私は行きたいところへ行くわ。
「だったら教えてさしあげるわ。あばずれ、よ。私達がどれだけ恥ずかしかったか」
それは琴子の心のどこかを撃ち抜いたが致命傷にはならなかった。元よりそんな風に云われるだろう事は、男と駆け落ちを決行した時に覚悟していた。
「ごめんなさい。あばずれ、か。酷い言われよう」
琴子は少し笑った。自分を嘲る言葉を、そして姉の悪意を笑った。世間とは一体誰の事なのか。世間とは、姉の文子の事ではないか、と。
琴子が二十歳の時だった。十歳年上で文士崩れの男との結婚を父に反対され駆け落ちをしたものの一年でその暮らしは破綻した。琴子が家を出る時に持っていった宝石類が底をついた頃に。もう質に入れるものがない。金の切れ目が縁の切れ目である事を琴子は身を持って体験したのだった。男は琴子の父から手切れ金と称して幾ばくかの金をもらったようだった。ろくでもない男の事など忘れろ。そんな風に男が言ってる気がして、琴子はそれが男からの最後の愛だったと今でも思っている。琴子は後悔など微塵もしていなかった。家に戻った琴子は毎日絵を描いて過ごす。花嫁修業中とでもいう身分だったが、駆け落ちをしでかしたというレッテルはいつまでも琴子について回った。
ある朝、可愛がっていたカナリアが死んだ。冷たく硬くなっていた死骸を手にして琴子はやっと泣いた。
――カナリアは、もうひとりの私だ。
カナリアも茹で落花生が好きで、琴子の手からそれをついばんだものだった。或いは鳥にとってそれは毒だったのかもしれない。徐々に毒に浸潤されついに命を落とした。琴子はふいにそう思う。
この家は檻なのだ。死ぬ前に檻を飛び出さねばならない。
琴子の父はパリへ絵の勉強をする為に留学したいという娘の願いを渋々受け入れた。幸いパリには知った日本人がいた。知人の家にホームステイしながら一年間だけという約束を娘と取り交わした。
一年もすれば世間もあの事件の事など忘れるだろうというのが父の目論見だった。一年経っても琴子はまだ二十二歳。縁談もあるだろう、と。
一方、琴子はもう帰らないつもりだった。ピカソの愛人にでもなってフランスに永住する覚悟だった。つまり父に嘘を吐いた事になる。
「琴子さん、なんだか変わったわね」
妹と喧嘩しようと身構えていた姉は肩透かしされた気分だった。
「そうかしら」
「そうよ。棘を抜かれた薔薇みたいよ」
「棘がなかったらもはや薔薇ではないのでなくって」
パリへ行ったら盛大にまた棘を生やしてやろうと琴子は思いながら、落花生を割り、ふたつの実を取り出した。
「ねえ、お姉さま、落花生って双子みたいではなくて。私達もこんな風にして、お母様の子宮で一緒に眠っていたわね。懐かしいわ」
「変な琴子さん、そんなの覚えちゃいないでしょ」
「覚えているような気がするの」
「可笑しな琴子さん」
二人は合わせ鏡のように笑った。