1. トップページ
  2. 傷跡に零れる

野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

性別 女性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

2

傷跡に零れる

18/01/13 コンテスト(テーマ):第151回 時空モノガタリ文学賞 【 あばずれ 】 コメント:4件 野々小花 閲覧数:510

この作品を評価する

 待ち合わせのカフェに着いたのは、有希子よりも私のほうが早かったらしい。いつもの席に座ると、透明なグラスと水の入ったピッチャーが運ばれて来た。
 私は溢れそうになるくらいまで、ゆっくりと水を注いだ。水は溢れそうで溢れない。もう少しなら足せる、と思ったところで、聞き慣れた静かな声が頭の上から降ってきた。
「こぼれるよ、水」
 有希子が表情のない顔で私を見下ろしている。
「表面張力が見たくてさ」
 おどけて舌を出す私をちらりと一瞥しただけで、それ以上の反応はない。彼女がひどく冷めた顔をしているのはいつものことだ。
 有希子とは、十年前に養護施設で出会った。お互いに十一歳で、その頃にはもう有希子はこんな風だった。笑うことも怒ることもない。感情を失くした子供だった。
 何年か後になって、彼女の生い立ちから施設に来るまでのことを聞いたとき、有希子がこうなったのも当然のことに思えた。決して他人を信用しない。心を開かない。私とは定期的に会って話をするけれど、分厚い壁が今も私と有希子の間にはあって、たぶんそれは一生壊れない。仕方がない。表情のない顔も、閉ざしてしまった心も、それが有希子の抱える傷なのだ。

「今回の彼は長いけど、どうして」
 一通りの近況報告を済ませた後、抑揚のない有希子の声がした。私の交際相手のことを彼女が口にするのは、たぶん初めてだ。
「優しいから、だと思う。でもめずらしいね。有希子がそんなこと聞くなんて」
「めずらしいのはそっちだと思う」
「そうかなぁ」
 表情と同じで声の調子も常に一定の有希子と話していると、私の声は明る過ぎて、なんだか自分自身が滑稽に思えてくる。
「大事にしたほうがいい」
 有希子の声が少し低音になった。
「わかってる」
 それにつられて、私の声も低くなる。
 大事にしたほうがいいのは、私自身のことなのか、彼のことなのか。もしかしたら両方なのかもしれない。どちらだったとしても、まして両方なんてとても無理で、そんな私を本当は有希子もわかっているはずだった。

 私も有希子とそう大差ない幼少期を送った。周囲から疎まれ、粗末な扱いを受け続けてあの養護施設に入ったとき、私は有希子とは正反対の子供だった。それでも愛されたいと、大事に思われたいと願う愚かな子供だった。そのためなら何だってした。服を脱ぐのは簡単だったし、従順になれば喜ぶ男は多かった。
「ほとんど毎日メッセージのやり取りしてるし、彼とは仲良いよ。だから大丈夫」
 自分に言い聞かせるみたいにして、明るく有希子に放ったはずの私の言葉はどこか震えている。
 そっとグラスを手に取り、私は何度かに分けて水を飲み干した。空になったグラスにピッチャーを傾けると、中に入れてあったミントの葉が流れ出てグラスのなかで小さな渦を作った。ミントの葉は渦に翻弄されてぐるぐると回っている。
 もう少しで溢れる、というところで私は手を止めた。あと数滴の水を足せば、グラスから水は溢れるだろう。注ぎ続ければいつか一杯になる。そして溢れる。その単純さが羨ましい。
 今の彼とは、一年程前に付き合い始めた。見返りを求めないひとだった。いつも私に優しくしてくれる。私のことを気にかけてくれる。これまでの男とは、違う。
 愛されたいと、大事にされたいと、ずっ願っていた。その願いがやっと叶ったのだ。

 カフェを出てすぐのところで、有希子とは別れた。
 駅に向かう途中の薄暗い路地で、前から歩いてきた二人組の男と目が合った。男たちの視線が、すぐにこちらを値踏みするような粘ついたものに変わる。
「ひとりなの? 可愛いね」
「これからどこか行くの?」
 声を掛けられるのは、よくある事だった。自惚れているわけではない。私の外見が他人より優れているわけでもない。たぶん男にはわかるのだろう。私が、とても簡単な女だということが。
「ひとりです。今から帰るとこ」
 立ち止まってこんな風に応えれば、もう後は本当に、簡単だ。
 胸の奥が苦しい。罪悪感で息ができない。私は優しい恋人の顔を頭の中で黒く塗り潰した。彼の優しい言葉や仕草は、いつも私の中に留まることなく零れていく。だから満たされることはない。溢れることもない。
 周りから疎んじられ、決して顧みられることのなかった子供時代を送った、これが私の傷なのだ。全てを拒絶する有希子のほうが、全てを受け入れる私よりもずっと健全なのだろう。
『大事にしたほうがいい』
 ふいに、有希子の声がよみがえった。
 本当の私は知ったら、恋人は離れて行ってしまう。
 解っている。でも……。
「有希子だけは、私を捨てないでね」
 震える声で呟きながら、心の中で自分の半身のような有希子に縋った。
 両方の手を、私はそれぞれの男の腕にするりと絡ませた。そしてゆっくりと、夜の街を歩き出した。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

18/01/13 凸山▲@感想を書きたい

拝読しました。
グラスに水を注ぐ主人公の姿が目に浮かびました。気軽な風を装いながらも、願掛けをするような真剣味が漂っているであろうその横顔を、冷めた友人はどんな気持ちで見つめていたのでしょうか。溢れるな、と思うのか。溢れろ、と思うのか。きっと、そのどちらの強い感情もないまま、十年来の友人を見つめ続けていくのだと思うと辛いところです。

18/01/31 野々小花

凸山▲さま

コメントありがとうございました。
毎回、自分の書きたいこと(言いたいこと)をなかなか上手く書ききれずに反省するのですが、グラスに水を注ぐ主人公の姿からそれを上手に読み取ってくださり、本当に嬉しかったです。ありがとうございました!

18/02/03 待井小雨

拝読させていただきました。
限界までいったら確実に溢れてしまうコップの水。満たされることも溢れることもない自分自身と比較する主人公。
大切な人がいても変われずに「あばずれ」でしかいられないのを哀しく思いました。

18/02/28 野々小花

待井小雨さま

返信が遅くなり申し訳ありません……!
お読みいただきありがとうございます。
何か小道具を使って書いてみたいとずっと思っていて、今回やっとそれが出来ました。
同じように辛いことがあっても、感じ方によって真逆になるということも表現したかったので、色々と自分なりに詰め込めた作品になりました。
コメント、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

ログイン