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クナリさん

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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引火メチル着火アルコホル

18/01/08 コンテスト(テーマ):第152回 時空モノガタリ文学賞 【 酒 】 コメント:0件 クナリ 閲覧数:137

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 中学二年生になったばかりの岡田マイは、普段から愛想がない。
「お母さんの、キャバクラの仕事って忙しいみたい」
「へえ」
 同じ団地に住む、しかし常にそっけない幼馴染みの加藤ケイスケと、昨年からゴーストタウン化したその団地の物陰で話すのが、マイの日曜日の過ごし方だった。
 地面に打たれたコンクリートが、何のせいなのか一メートル四方ほどクレーター状に浅くえぐれた場所がある。そこにはよく水が溜まっていた。
 決して清潔とは言えないその水に、二人は裸足になって足を浸す。
 最初は、足を水に浸すのはマイだけだった。
「体のどこかを汚していたいの」
と言うマイに、それからはケイスケも足を浸すようになった。
「学校、つまんないね」
「そうだな」
「この団地も人がいなくなって寂しい」
「ああ」
 二人の脇を野良猫が通り過ぎる。
「犬とか猫、嫌い」
「分かるよ」
「さて、私は今、ひとつだけ嘘をつきました。何でしょう」
「おばさんの仕事が、キャバクラじゃない」
 マイが見抜かれたがっていると感じた時は、ケイスケは気を遣わない。



 古くて安いこの団地から人がいなくなったのは、名指しで全国区のニュースになったせいだった。
 マイの父親は決して、少女たちの意志を無視して強引に迫った訳ではない。むしろ複雑で孤独な少女たちの悩みを聞いてやり、心をほぐした結果、彼女らの方が彼に好意を抱いたのだ。
 彼が穏やかでいるのは、妻と娘以外の女といる時だけだった。それは例えば、女子生徒のいる校舎というだけでも、その敷地内では彼は朗らかでいられた。
 だから、中学教師である彼の教室での穏やかさを知る者は、自宅での彼の荒れ方を想像だにできない。
 酒がなければ暴れる。酒を飲めばもっと暴れ、そして女を欲しがる。
 マイの友人はケイスケくらいで、家に遊びに来るような女友達は作れなかった。

 父親の行為が公に発覚したのは、当時中学三年生の教え子が、酒の匂いを体と口から漂わせて深夜に帰宅したためだった。
 マイの父親と関係を持った少女らは芋づる式に判明し、ニュースは全国を駆け巡った。
 団地からは多くの家族が、マイと母親を迫害してから引っ越した。
 友達がいなくてよかった、とマイは思った。

 父親は泣きながら、二度と酒は飲まないと妻とマイに謝った。
 その翌日、学校から帰宅したマイの眼前で、泥酔した父親が自室で組み敷いていたのは、何かマイの力になれればと言って、これまでと変わらない態度で接してくれていた、ケイスケの姉だった。



 四月の水は冷たく、マイの爪先はもうほぼ感覚がない。
「お父さんのこと、殺してもよかったんだよ。死体が出ないように協力するし」
「姉さんに『本当に好きになっちゃったの』って言われた時、そんな気も萎えた」
「お母さんも最近、凄く飲むようになったの。あんなにお酒嫌いだったのに。二人とも何度も、お酒やめるって私と約束したんだけど」
 酒のいい面は、飲む者に。悪い面は、飲まない者にもたらされる。そんな気がして、ケイスケは理不尽に思う。
「クスリとかならともかく、私、お酒に負けるって悲しいなあ」
 濁った水面を見つめながら、マイはつぶやく。
「親子の情って、無敵でも無限でもないもんね。子供が可愛くないこと自体は罪にはならないし、誰にも怒られる筋合いないんだよね、二人とも」
 マイの両親が、子供への愛情を持たないとは言わない。ただその優先順位が著しく低いことは、ケイスケは認めざるをえない。
「罪じゃなくても、罪深いってことはあるよ」
 ケイスケは携帯しているハンドタオルで、水から上がらせたマイの足を拭いた。
 真水で流さなくては、汚れた足は、完全にはきれいにならなかった。

 その日の深夜二時、ケイスケは、携帯電話に着いたメッセージの着信音で起きた。
『遅くにごめんね。私、やっぱり、』
 マイの文章は中途半端に途切れている。短文でやり取りすることが多いアプリなので、不思議ではないが。
 一分。二分。眠気に耐えて続きを待つ。
 三分。ケイスケは家を出た。小走りにマイの棟へ向かう。
 マイの家のドアを叩いた。
 開いている。中へ入る。
 マイは台所にいた。母親はいない。
「どうした」
「だめ。お父さんが今どこで、何してるんだろうって考えちゃうの。夜は、気持ち悪い、今頃、また……」
 マイの右手には洋酒の瓶がある。包丁ではないことにケイスケは安堵した。
「楽になりたい。ね、飲もう、ケイスケも。それでお父さん殺そう!」
 ケイスケは、マイをバスルームに連れていき、勢いよく頭上からシャワーを流した。
 二人は服ごと、冷水でずぶ濡れになる。
 マイが泣き出した。
 嗚咽と水音。
 段々と温かさを増していく水に打たれて、いつの間にか、ケイスケも泣いていた。


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