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蒼樹里緒さん

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性別 女性
将来の夢 趣味と実益を兼ねた創作活動をしながら、気ままに生活すること。
座右の銘 備えあれば患いなし/一石二鳥/善は急げ/継続は力なり/思い立ったが吉日

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美酒と愛執

18/01/03 コンテスト(テーマ):第152回 時空モノガタリ文学賞 【 酒 】 コメント:0件 蒼樹里緒 閲覧数:282

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 日の昇らぬ常闇の世では、酒呑みの刻限も無きに等しい。
 木の匂いに囲まれた小さな居間には、仄かに甘い香りも漂っている。
 座布団に正座し、娘はぷはぁ、と満足気な息を吐いた。両の手に包んだ湯呑茶碗には、白く濁った液体が揺れている。
「今宵の甘酒もなかなかに良い出来ではござりませぬか、あるじ様?」
「うむ。また一段と腕を上げたのう」
 開かれたままの障子戸の向こうで、老人がぼそぼそと答える。机と向き合い、椅子に腰掛け、猫背気味の背を向けたままであるが、声音は孫娘を褒める祖父そのものだ。
 娘はいっそう笑みを深め、甘酒をまた一口含む。あたたかなそれは心身を程好く蕩かし、じんわりと染み込む熱は頬をゆるませる。
 命の恩人でもある彼との平穏な日常が、今宵も続くと思っていた。

「邪魔するぜ!」

 店の引き戸が開け放たれるまでは。
 いらっしゃい、と老人は落ち着いて答えるが、娘は思わず顔をしかめた。せっかくの甘酒をまずく感じてしまう前に、卓袱台に茶碗を置いて立つ。
 朗々と声を響かせた若い男が、酒瓶を手にずんずんと歩み寄ってくる。一人か二人がやっと通れるか否かの狭い幅を、両の壁沿いに立ち並ぶ棚にぶつかりもせず、陳列された雑貨類にも目も留めず、悠然と。
 娘は相手を半眼で見やり、老人の背後から毒づいた。
「無粋であろう。懲りもせず営業の邪魔をしに来おって」
「そうかそうか、そんなに俺様に会いたかったか。待たせたな」
「待ってなどおらんわッ!」
 思わず、浴衣の袖で相手の頬を殴りつけたくなる。満足気に見下ろしてくる深縹の鋭い眼が、また腹立たしい。常日頃の他愛ない軽口ではあるが。
 書物に目を通す老人の前、机にどんと酒瓶を置き、男は店主と店員の顔を見比べながら告げる。
「うめえ酒が手に入ったからよ、お裾分けだ」
「おぬしの飲みかけであれば、願い下げじゃ」
「まだ口は付けてねえよ、安心しろ」
 まことか、と疑う娘に、男は自信ありげに肯く。
「それにおまえは甘酒作ってんだし、酒粕にも手頃じゃねえか」
「ほう、大吟醸『薄明』か。いいものを持ってきたな」
「だろー? さすが、話がわかるぜ」
「あるじ様っ」
 丸眼鏡越しに酒瓶の荷札をしげしげと見つめ、老人は感心して呟く。
 ぐぬぬ、と娘は歯噛みした。その様を、男がにやにやと愉しげに見つめる。
 男の持ち込んだ酒は、街最大の市場においても、滅多に見かけることのない希少品だ。
 ――高級な酒一本でわしが惑うとでも思うたか、たわけめ。
 鼻を鳴らし、娘は不敵に笑んでみせる。仕える店主に近づかせまいと、机の前に出て。
「『何でも屋』なる酔狂な生業で稼ぐしかできぬおぬしのことじゃ。どうせ、ろくでもないやり口で得たのじゃろう」
「いやー、こないだの依頼主が太っ腹でよ。それが対価だってんだから驚いたぜ」
 なっはっは、と響く陽気な笑いで、皮肉は呆気なく押し流された。二度目の歯噛みをして、娘は押し黙るしかできない。
「俺一人で飲み切るのももったいねえし、世話になってるおまえらにも味わってもらおうと思ったわけだ」
「まさか、ここでともに飲み明かす気ではあるまいな……?」
「当然だろ。そのために来たんだからよ」
「帰れ、今すぐ家に帰れッ!」
 場の空気や勢いで何をされるかわかったものではない。男が巷で笊と呼ばれるほど酒に強いことを知っていても。頭の片隅で警鐘が鳴り始める。
 ――あまつさえ、こやつはおなごと遊び慣れておるのじゃ、油断はできぬ……!
 取り乱しかける娘を、老人がやんわりと宥めた。
「そう邪険にするものでないぞ、娘」
「し、しかし、あるじ様……っ!」
「今でこそ独り立ちはしたが、こいつも昔はこの店でともに暮らしとった『家族』なのだから」
「そういうことだ。つーわけで、仲良くしようぜ」
「誰が――」
 噛みつかんばかりに抗おうとする娘の顎が、無骨な指にそっとつかまれる。
 仰向かされた唇に、男のそれが重ねられた。
「――ッ!」
 混乱の悲鳴は音にはならず、無遠慮に挿し込まれた舌に舐め取られる。隙間から漏れ出ようとした吐息ごと。
 ぞわり、と肌が粟立つ。
 ざらついたそれは、娘の舌や歯列、粘膜を味わうようにねっとりと舐め尽くし、離れていった。
「ん、やっぱおまえの作る甘酒もうめえな。ご馳走さん」
「からかうのも程々にせえよ」
「へいへい」
 へなへなと床に座り込む娘の耳には、入らない。あっけらかんとした男の声も、彼を窘める老人の声も。
「こ、この痴れ者が……っ」
 どうにか喉から出た文句も、威勢や覇気は奪い取られ、震えを帯びた小声になってしまう。

 ――これだからこやつは好かんのじゃー!

 胸中で叫びながら、娘は目を潤ませるものを袖で拭った。


 厄介な愛執は、甘酒で口直ししなければ。


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