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いっきさん

公務員獣医師として働くかたわら、サイトを中心に創作に励んでいます。

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赤い手袋

17/12/31 コンテスト(テーマ):第150回 時空モノガタリ文学賞 【 悲劇 】 コメント:0件 いっき 閲覧数:80

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沈みゆく夕陽に想いを馳せながら、線路沿いをゆっくり歩いてゆく。
私は今日、定年を迎えた。職業は電車の車掌。
若い頃には運転士として毎日運転席に座ってハンドルを握り、定年前に車掌に出世して電車の運行の全てを掌握した。
決して楽な仕事ではなかった。精神的なダメージを受ける場面にも何度も遭遇した。
しかし、最後までどうにかやり通した。
これからは、家で静かに読書などを楽しむ生活をしよう。そう思っていた。

とある踏切の前。少女がしゃがんでいた。
夕陽が射しているとはいえ、もうほとんど沈んでいるので、顔は影になり分からない。何か、探しているようだ。
「何を、探しているの?」
「私の手袋。見つからないの」
少女はしゃがみ、顔を下に向けたまま言う。
「どんな手袋?」
「赤い、毛糸の手袋」
「そうか、おじさんも一緒に探してあげよう」
私もしゃがみこみ、探した。
しかし、それらしきものは見つからない。

ここで、私はふとある違和感を覚えた。
今は春。
まだ少し肌寒いが、毛糸の手袋が必要な季節ではない。
不思議に思い、ふと少女を見た。
しかし、先程よりさらに暗くなっており、影しか見えない。

「いつ、無くしたんだい?」
「忘れた。ただ、パールが線路に入ったのを追いかけて、横から電車のライトが光って……気づいたら無くなってたの」
「パールって?」
「私の犬」
私は、はっとして顔を上げた。
少女の姿はなくなっていた。
ただ、踏切の前の電柱、その前に枯れた菊の花の挿された花瓶が置かれているだけだった。

私は、もう二十年程経つだろうか、ある事故を思い出していた。



その日、私は運転手として電車を運行していた。
ホームで待つ群衆の息は白い冬。皆、毛糸の手袋をはめ、マフラーを巻いていた。
駅の皆が電車に入ったのを確認後、発進した。私の運転する電車は、スイスイと順調に進んでいた。

枯れた銀杏の木々。見慣れた並びの家。
見慣れた風景が流れてゆく。

私も慣れたもので、鼻唄混じりに運転していた。しかし、ある踏切を通過しようとした瞬間だった。
小さい影が横切り……次いで、線路上に背の低い人影が現れた。
「危ない!」
咄嗟にブレーキを踏んだ。だが、遅かった。
小さい影は横切った後だったが、次いで現れた人に激突したのだ。

激突した人は、肉片となり一気に砕け散ってゆく。
目を覆わずにいられない。ガクガクと、全身の震えが止まらなかった。

激突したのは小学校中学年の少女。
線路内を横切ろうとした飼い犬を追いかけての事故だった。

私は葬儀に参列した。
少女の親族席からとめどなく嗚咽が漏れて響いていた。
やがて棺桶が開かれ、対面の儀が行われた。参列者が棺桶の中の故人と対面した。
「ひっ……!」
故人と対面した者は皆、口を押さえ、眉間に歪な皺を刻んで硬直していた。

怖い……。
できることなら故人と対面したくなかった。
しかし、直視しなければならない。
私はこの故人を決して忘れてはならないのだから。

白い花を持ち棺桶の中を見た。
私は、背筋が凍った。
棺桶の中には、故人の姿はなかった。
正確に言うと、人間の体を成していなかった。
あったのはただ一つ、赤い手袋だけ……いや、手袋というのは正確ではない。
赤い手袋をはめられた少女の手だけだったのだ。

後で聞いた話によると、電車との激突で少女は木っ端微塵になった。
辛うじて原形を保っていたのが、その赤い手袋だけだったのだ。

翌日、私は新しく菊の花を買い、踏切前の電柱の花瓶に挿した。
「私の所為だ。すまない……許してくれ」

私は、涙を流して詫びた。
忘れない……。
決して忘れてはいけない。
あの少女は、私に決して忘れさせないように、再度私の前に姿を見せたのだろう。

私は罪を犯した。
過失だったとはいえ、一人の未来ある、幼い少女の命を奪ったのだ。
定年して仕事を辞めても、その罪の十字架はずっと心に刻み続けなくてはならない。
そう思った。



定年後、初めての冬。
道行く群衆の吐く息は白い。
凍えるように寒く、私は白い毛糸の手袋をはめていた。

買い物から帰宅しようと踏切……春に少女と会ったあの踏切の辺りを通りがかった。
『ガシッ』
俄かに手を掴まれた。
背筋が凍り、掴まれた手を見る。
やはり俯いていて顔は見えないが、分かる。あの少女だ。
「ねぇ、おじさん。やっぱり、私の手袋、見つからないの」
私は全身鳥肌が立ち、ガクガクと震える。
「だから、おじさんの手袋、ちょうだい」
少女がゆっくりと顔をこちらに向ける。
その顔は……肉片が纏められ、黒い血が滴っていた。
「だって、おじさんの所為なんでしょう?」
その顔は、生温い笑みを浮かべた。
「ゆ、許してくれ……ギャアア!」
白い手袋は、私の鮮血で真っ赤に染まった。


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