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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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世界はこんな風に終わろうとしている

17/12/31 コンテスト(テーマ):第150回 時空モノガタリ文学賞 【 悲劇 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:285

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 よのなかばかばっかりだ、といつも言っていたパパがとうとうばかになってしまった。
 人形みたいに表情がなくなって、僕がなにを言ってもまともに返事をしてくれないし、ぜんぶ忘れてしまう。会社にも行かなくなった。
 小3の春、だから僕はおばちゃんと住むことになった。パパは今も、ひとりあの坂の上の家にいる。
 おばちゃんはパパの妹だ。桜が散り始めた頃、黄色いコートを着て僕を迎えにきた。まずは病院でけんさをしようねと連れて行かれ、僕は血をとられたり大きな機械でからだの中までさつえいされたりした。
 結果を待っている間、おじちゃんがアイスを買ってくれた。3人で並んで座り、カップのバニラアイスを食べる。
「アスミさんにきて、次に兄でしょ。遺伝じゃないとはいえ、心配」
「視診では異常なしだったし、きっと大丈夫だよ」
 おばちゃんたちが僕の隣でぼそぼそと話す。アスミさん。僕のママ。ママのことはなるべく思い出さないようにしてる。僕が小1の時にばかになって、手がつけられなくなり『壁』の向こうへ入れられてしまった。
「お義兄さん、どのくらいもつかな」
「本人は時間の概念ももうないんだと思うよ。食べなくなって、暴れ始めたら回収業者がきておしまい。もう会うこともないと思う」
 おばちゃんが溜息をつき、思い出したかのように隣の僕を見下ろした。
「ミキオ君、おいしい?」
 僕は黙ってうなずく。でも言葉を喋らないとばかの始まりと思われる!と心配になり、「すごくおいしい。甘いバニラ味が舌の上でとけるかんしょくを楽しんでるんだ」と言ってみた。おばちゃんたちは目を丸くして顔を見合わせていた。

 病院を出る頃には太陽がかたむきかけていた。
 空からバタバタと大きな音が近づいてくる。おばちゃんたちは立ち止まってそれを見上げる。
 大きなヘリコプターがうんと高いところから霧のようなものを撒く。1日1回、ばかにならないための薬らしい。においもないし、痛くもかゆくもない。でも、パパはばかになったし、学校の友だちも先生も、どんどんばかになっていく。
 桜の花びらの合間から降ってくる薬を眺めながら、僕は尋ねた。
「おばちゃん、人類はぜつめつするの?」
「そうなる前に、賢い人たちが何とかしてくれるよ」
 おばちゃんの黄色いコートが上からの風で音を立てて揺れていた。
「それはミキオ君かもしれないよ。たくさん勉強して、もっとよく効く薬を開発して……」
「僕まだ9才だよ」
 今度はおじさんが僕の肩に手を置く。
「9才でも10才でも、子供は希望なんだよ。本当に、希望なんだ」
 僕の検査結果は、いんせいだった。



「草壁幹雄君、よくここまで生き残ってこれたね。歓迎するよ」
 と、博士は薬品でただれた手を差し出した。
 この春大学を卒業したミキオは、『壁』の向こう、隔離地域の研究棟で職を得た。壁の内側へ入ったのはこれが初めてである。全面強化ガラス張りの回廊を歩きながら、ミキオは中庭の光景に目を見張る。
 表情のない人間たちが、ゆらゆらと縦横無尽に歩き回っている。時折互いにかじりつき、辺りは血の海だ。頬や腕の肉がかじり取られても、痛みを感じないのか悲鳴ひとつあげない。
 群衆の中に、黄色いコートの女を見かけ、ミキオは思わず足を止めた。赤い頭皮が剥き出しのその顔をまじまじと見つめる。
「どうかしたかね」
 博士が振り返った。
「いえ、よく似た人を知っていたので」
「もう判別がつかないだろう」
 博士は苦笑した。「ああやって日がな一日喰い合ってる」
「末期症状で共食いに目覚め、それしか頭にないわけですね。他の肉は食べないんですか」
「食べない。喰いっぱぐれて餓死するか、他人を喰うか。人口爆発が問題だった頃が懐かしいよ。まさか人類が共食いで衰退していくとはな」
 黄色いコートの女の首に、少女が飛びついた。地面にもんどりうって攻防が始まる。ミキオは目を逸らした。
「君には共食いの欲求を脳科学の観点から抑制する研究についてもらいたい」
「はい」
「何か質問はあるかい」
 ミキオは再びガラスの向こうを見やる。黄色いコートの女は地に倒れ、複数の人間が蛆のように群がっていた。
「虚しくなりませんか。人類がここまで壊れてしまって、それでも尚生きのびる道を模索することに。僕は昔、僕自身が希望だと言われたことがあります。でも希望すら、もう醜いというか、浅ましいと、思いませんか」
 女がふらふらと回廊に近寄ってきて、博士とミキオをぼんやりと見つめながら掌でガラスを叩き始めた。
 博士はそれを冷めた目で見返しながら、答えた。
「諦められないことが、人類最大の悲劇だと、君は卒業論文に書いたね。僕もそれに同感だ。だから君を採用したんだよ」
 遠くでゲートの開く重く鈍い音が響いた。
 また、新たに感染者が運ばれてくる。


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