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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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忘却の海

17/12/30 コンテスト(テーマ):第150回 時空モノガタリ文学賞 【 悲劇 】 コメント:0件 野々小花 閲覧数:81

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 汐のにおいがする。
 唯人が海沿いにあるこの街に来たのは一週間前だ。その時からずっと、汐のにおいが執拗に唯人の体にまとわりついてくる。高台から、においのする方角に目をやると、ビルとビルの合間から海が見えた。
 この街には、死んだみたいに古い家がいくつかある。朽ち果てる寸前の、見捨てられたように古い小さな家屋が、新しい家と家の間に残っている。ビルの影に隠れるようにして建っている。なぜだかわからないけど、唯人の目に入るのはそんな家ばかりだった。

「十五年前に、海で一家心中があったんです。覚えていませんか」
 朝から駅前に立ち道行く人に声を掛ける。暗い顔をして、ぼそぼそと話す唯人に足を止める人はいない。
「親子三人の遺体が、すぐ近くの浜で見つかったんです。誰か知りませんか」
 皆、気味悪がって足早に去っていく。
 諦めかけたとき、若い男が話しかけてきた。
「君かな。最近、駅前で通行人に声を掛けている少年というのは」
 首から下げている社員証のようなもので、男が市の職員だとわかる。
「警察に通報されたほうが良かったのに」
 虚ろな目で唯人が言う。 
「どうして警察のほうがいいのかな」
 男の口調はどこまでも穏やかだ。
「警察に行ったら、事情を聴かれるだろ。全部話して、それで俺の知りたいことも教えてもらう」
「知りたいことって、君が尋ねまわっている一家心中のこと?」
 唯人は小さく頷いた。
「この街に来て、最初に警察署へ行ったけど教えてくれなかった。浜のどこで遺体が見つかったのか、詳しい場所が知りたい」
「花でも手向けるのかな」
 随分と間延びした声だ。唯人は男を鼻で笑った。
 そして、「そうだよ」と、心にもないことを言った。 

 街を歩いていると、古い家がひとつ無くなっていた。ついこの間まで確かにあったはずの朽ちかけた家は跡形もなくなり、更地になっている。道行く人は唯人以外、誰も足を止めない。まるでそこには初めから何もなかったかのように見向きもしない。そのことに、唯人は愕然とした。
「君、こんなところにいたのか。探したよ」
 息を切らせて男が走ってくる。初めて会ったあの日、男は「毎日来るよ」と言った。唯人は返事をしなかった。それでも男は言葉通り、毎日唯人のところへやって来る。
「何を見てるの」
 唯人の視線の先には何もない。もう何もない。
「別に。人は忘れていく生き物だなと思って」
「事件のこと? 場所、まだわからないの」
「わからないよ」
 詳しい場所はおろか、事件のことを覚えている人さえ見つけるのは困難だった。唯人は諦めて、でも踏ん切りがつかずに、あてもなく街を歩いている。
 あの一家心中の真相なら解っている。隣町で小さな印刷工場を営んでいた男が、信頼していた社員に金を持ち逃げされた。そのせいで経営は立ち行かなくなった。間もなく、経営者の男とその妻と娘の溺死体が浜辺で見つかった。
 当時の新聞記事を探せば簡単なことだった。解らないのは、どこから海に入ったのかということ、それから、遺体が見つかった詳しい場所だ。どの新聞にも書かれていなかった。何キロも続くこの浜辺のどこで三人は見つかったのか。それを、唯人はどうしても知りたかった。

 防波堤に腰掛けて、唯人は夕闇に染まる海を見ていた。
「父さん、母さん、姉さん。どうして、俺だけ置いて行ったんだよ」
 いつも心の中にある問いが、ポツリと漏れる。
 人は忘れていく生き物だ。唯人もそうだった。かすかに残る家族の記憶が、少しずつ薄れていく。生きているから、忘れていく。そんな自分を唯人は許せない。この街へ来たのは、忘れないままでいるためだった。
 日に日に、汐のにおいが濃くなっているのを感じる。
 その度に、海が呼んでる、と唯人は思う。
 今日、あの男は来なかった。いつもは陽が高いうちにどこからともなく唯人を探して現れるのに、今日はまだ姿を見ていない。
 強く汐のにおいがして、唯人は防波堤から砂浜へと降りた。そして、海へと向かう。詳しい場所を探したのは、なるべく近いところが良かったからだ。せめて一番近い場所から家族のいるところへ行きたかった。
 冬の海は酷く冷たい。胸の辺りまで海に沈んだところで、ふいに、あの間延びした声を聞いた気がした。振り返って男を探したけど、見つからない。
 昨日、別れ際に男は「また明日」と言った。確かにそう言って手を振っていた。
 強く、汐のにおいがする。
 さっき、夕日が消えて行った水平線をほんの一瞬、唯人は眺めた。そしてゆっくりと、波の力に身を委ねた。
 
 浜辺が闇に包まれた時、唯人を探す男の声がした。
 男の声は、風のせいで途切れ途切れになりながら、それでも止むことはない。
 海は何も答えなかった。ただ少しだけ荒い波を、いつまでも繰り返すだけだった。


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