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宮下 倖さん

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沈黙の典範

17/12/28 コンテスト(テーマ):第150回 時空モノガタリ文学賞 【 悲劇 】 コメント:0件 宮下 倖 閲覧数:87

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 くるしい、つめたい、くらい、かなしい……。

「最近へんな夢ばっかり見るの。暗くて冷たくて……水の中……なのかな。息が苦しくて」
 紙パックに刺したストローをかるく噛む。そのままため息をつくと、いちごミルクの甘ったるい匂いが鼻に抜けた。
「それってさ、あのレポートの資料のせいじゃない? ほら、藤井中尉の……」
 向かいでコーヒーを飲んでいたカオリが小さく首をかしげた。私は曖昧にうなずく。
 そうかなとは思っていた。
 ゼミのグループレポートで戦争を取り上げることになり、私たちのグループは陸軍飛行学校の中隊長でありながら特攻に志願した藤井一中尉の生涯に着目したのだ。
 藤井中尉は精神訓話を担当する教官で、「事あらば敵陣に、敵艦に自爆せよ。俺も必ず行く」と口癖のように言っていたらしい。
 しかし実際に特攻作戦が開始され、自分の言葉通りに教え子たちが出撃していき命を落とすことに藤井中尉は耐えられなかった。
 未来あるはずの彼らが毎日散っていく。
 自分の教えを心に立てて敵と対峙する教え子たちとの誓いが輪郭を濃くした。
 ――俺も必ず行く。
 ついに藤井中尉は自ら特攻に志願する。しかし彼は昔の怪我がもとで操縦桿を握れず、パイロットとしての働きはできない。飛行学校でも重要な職務に就いており、また妻と幼子ふたりがいる。そういった理由から志願は受け入れられない。けれど藤井中尉は何度も何度も志願する……。
 もちろん私は戦争を知らない。祖父母は早くに亡くなり、身近な人の口から戦争を聞くこともなかった。テレビや書籍でしかわからない戦争という時代を、ひとりの人物を通して追うに従い私は圧倒された。
 私が心に留めたこの「ひとりの人物」は実は藤井中尉ではない。中尉の奥さん、ふく子さんだ。
 ふたりは軍人と野戦看護婦として戦地で出会い結婚する。だから、藤井中尉が愛国心に満ちた熱血漢であることも理解していた。しかし特攻志願となると話は別だ。
 上官から特攻許可が出ない身でありながら何度も志願するということは、死ぬことしか考えていない。教え子たちとの「俺も必ず行く」という約束を果たすことしか考えていない。
 約束を守りたいことも、教え子たちに申し訳ないという思いも、その気もちだけでは気が済まないという夫の責任感もわかる。
 しかし、自分たち家族のことはどう思っているのか。幼い娘ふたりを残して逝こうというのか。
 ふく子さんは毎日夫を説得した。妻として、女として、母として、精一杯の気もちをぶつけた。
 しかし藤井中尉の決意は固く、その瞳が自分たちを見てはいないことをふく子さんは思い知りひとつの決断をくだした。
 この時代と、いま私たちが生きる現代は違う。考え方も価値観も、何もかもが違う。
 そうはわかっていても、私にはこの後彼女がとった行動に共感はできない。
「あんまり思い詰めないほうがいいよ。ほら、次の授業行こ」
 黙り込んだ私にカオリが明るく言う。私はパックに残っていたいちごミルクを飲み干したが、甘さはもう感じなかった。

 くるしい、つめたい、くらい、かなしい……。
 
 ああ同じ夢だ。何度も瞬きをしてベッドから体を起こす。カーテンから漏れる朝陽が眩しい。
 やはり水の中だと思った。手足を押さえつける水の重圧が生々しく残っている気さえした。
 ふく子さんの決断は悲しいものだった。
 幼い娘たちに晴着を着せ、自分も身支度をすると十二月の冷たい川に入ったのだ。
「私たちがいたのでは後顧の憂いになり存分の活躍ができないことでしょう。お先に行って待ってます」
 そんな遺書と、変わり果てた妻子の姿を目にした藤井中尉は何を思っただろう。
 そういう時代だったんだよと教授は言った。時代ごとに違う正しさや生き方があると。悲しい歴史は悲しいまま後世に伝え、そこから何を学ぶかが今を生きる私たちの責務であると。そして同じ悲しみを繰り返してはならない。
 夢から醒めれば疎ましいほど平和で明るい世界が私を待っている。私はごしごしと手のひらで頬をこすった。頬は少しだけ濡れていた。
 家族を亡くした後、藤井中尉はようやく特攻志願を許可され、昭和二十年五月沖縄に散った。享年二十九。
 あの時代の正しいこととは何だったのだろう。そもそも正しいことなど存在していたのか。
 やはり私はふく子さんの心情にはうまく寄り添えない、共感は難しい。
 けれど彼女の生き方は圧倒的な熱量をもって私の中に残った。
 悲嘆の時代を生きたひとりの女性の揺るぎない強さのかけらとともに。


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