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第六感さん

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聖母の微笑みで殺して

17/11/14 コンテスト(テーマ):第147回 時空モノガタリ文学賞 【 迷い 】 コメント:0件 第六感 閲覧数:55

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ラブホテルで抱き合った後、湊はいつも泣いている。声を殺して、身を丸めて。迷子みたいに、あるいは、今まで私と触れ合っていた細胞をその身から引き剥がす、痛みに悶えるみたいに。正直、そんな湊は見ていられない。好きな人が苦しんでいるのは見たくない。湊は可哀想だ。生きるのに真面目で頭がいいから、ほとんど運命的に苦しまなければならなくなる。――代わってあげられたらいいのに、とは、いつも思う。温かさとは無縁のふたりが、意味ありげに狭苦しい部屋で、妙に温かい照明に照らされている、それが私にとってどれほどの幸いか、湊には伝わっているだろうか。
スプリングの微妙なベッドのヘッドボードに身を預け、湊の背中を撫でてやる、嗚咽が酷くなる、湊は身をいっそう硬くして、縮こまる。彼は私が怖いのだ。それは頭の悪い私にはわからない領域のことだ。湊より力も弱いし、大人のように彼を叱ったりしないし、そもそも、文字通り骨抜きになった私が彼に何かできるはずもない。なのに湊は泣いている。私はその背を撫で続ける。彼の背中は美しい。背骨の隆起がこの世のものとは思われない。運命的に、使命的に、苦しまなければならないひとの背中だ、と言う気がする。嗚咽に不規則に揺れる背中。優しく慰めようとすればするほど、湊は傷痕に触られるのを嫌がるみたいに、肌で私の手を拒む。身じろぎは無くとも。シャワーを浴びる余裕さえなく、汗もそのままで、湿度を含んだ、沈黙。
「今日も素敵だった」
湊からは見えないだろうけど、微笑みながら言った。湊は辛そうだけど、でも、私は今日もあなたのおかげで幸せだった。それが湊の心臓の真ん中に届けばいい。思いながら。
湊は弾かれたように振り返る。合った目は爛々としていた。その目のまま、裸の私に掴みかかる。肩口に爪が食い込んだ。私に吠え掛かろうとしている。私はあまりの勢いにびっくりして、間抜けな顔で湊を見つめる。大きく開かれた口、尖った犬歯さえ覗いたその口は、しかし言葉を失ったらしく迷わしげに閉じた。彼は前髪の隙から目をおどおど泳がせて、やっとのこと絞り出すように言った。
「お前が、」
発音のはじめは呪詛と聞き違えるくらい低かったように思う。
「お前がお前じゃなかったら殺してたのに」
思い余った、震える吐息の後、湊はまた泣いた。私を抱き締めて。お前がお前じゃなかったら、俺はお前を殺してた、ともう一度、放った言葉を反芻しながら。湊の言うことは難しい。難しすぎる。
一緒に暮らそう、真っ直ぐな目で私にそう言った湊を思い出している。答えはまだ出していない。湊と生きるということは、たぶん私が湊を殺し続けていくことだと思うから。買い物帰り、雨の路地裏で湊を殺す、換気扇の下で殺す、シーツを洗濯している途中で殺す、ダイニングテーブルにポテトサラダを置いた瞬間に殺す、携帯電話で通話中、メモを取る右手から殺す、靴を履いている最中に殺す、ドライヤーで髪を乾かしているところを殺す、カーテンにタッセルを丁寧に掛け、束ねている背中を殺す、眠りについた一瞬に殺す。――たぶん、そういうことなのだ、私が彼と生きるということは。
でも、私は湊とは生きられない、なんて彼に言えば、その瞬間に湊は死ぬだろうし、そもそも私だって湊と離れたくはない。何が何でも好きだから。だから必死で、「大丈夫だよ」「そばにいるからね」「好きよ」繰り返す。何度も何度も、湊の心臓の真ん中に届けばいい、と願いながら。そうでなければ私たちはどこへも行かれない、どこにもたどり着けないままだ。一生、このカタコンベみたいなラブホテルで時間は止まる。
湊の腕の中で、でも、と私は考える。でも、もう私たちには道がない。
痛いほど抱き締められて、肩口は湊の涙で濡れて、熱いんだか冷たいんだかもわからない。散々重ね合わせた私たちの肌はでも、決して溶け合ったりしない。ふたりの前にひとりだから。もちろん私は湊のことが何一つわからない。けれど、好きだ。何が何でも。
「私、湊がいて幸せよ」
切ないままだけど、なんとか笑う。湊の頭を撫でてやる。ぐさり。なんて、まるで私の言葉が湊の心臓の真ん中に届いたらこんな音がするだろうという音が聞こえたような気がしたけれど、きっと気のせいだろう。


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