糸白澪子さん

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Twilight

17/11/11 コンテスト(テーマ):第147回 時空モノガタリ文学賞 【 迷い 】 コメント:0件 糸白澪子 閲覧数:108

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 子供の頃、一度だけ迷子になったことがある。人混みの激しい商店街の中、母さんと父さんを見失ったあの感覚が、どうしてか最近、鮮明に蘇る。

 しゃらっ。勢いよくカーテンを開ける音がした。降り注ぐ光が閉じたまぶたの内側まで入り込む。
「起きなよ。もう昼だよ」
「うん」
「ねえ、起きて」
「うん……」
「起きてってばぁ」
「……うん」
身をよじって布団にもぐり込むと、かえって掛布団を剥ぎ取られた。彼女は俺の掛布団を小脇に抱えたまま、こっちを見下ろして言い放つ。
「もう、あたしだって先週みたいに『なんで昼になっても起こさねぇんだ』って怒られたくないの」
 はーい、すみませんでした。すごすごと俺は布団から這い出る。
「制服のYシャツ、洗っといたよ」
「うん」
「昨日、面相筆おきっぱなしにして寝ちゃったでしょう、手入れしといたから」
「うん」
「『うん』じゃないでしょ!」
「……あ、り、がとう……」
 彼女は得意げに微笑む。感謝をねだるくらいなら他人のことに手ぇ出すなよ、と言いたくもなるが、一緒に住まわせてもらっている以上、あれこれ文句は言えない。平日は仕事に行っているのに家事もしてくれる(下着の洗濯だけは自分でやっているが)。二人ともその気になったら肌を重ね、夜をともに過ごすことだってある。何でもかんでも放ったらかして欲求まで満たさせてもらって、いいヒモ具合だ。それでも、今の状況が俺たちにとってwin-winなことは分かり切っている。
 頭を引っ掻き、欠伸をし、俺はテーブルに置いたままの出来かけの作品の前に座る。
彼女は俺の、絵が、好みなだけだ。ならば俺は、作品をつくりさえすればいい。
「それ、そろそろ完成させるの?」
「うん」
水彩紙には、うっすらと鉛筆で下書きが施してある。完成した姿は、俺の頭のなかにある。
 彼女はテーブルの離れたところにカップスープに、トーストとサラダが盛られたプレート皿を置いた。スープを干してトーストを放り込み、サラダをかっこむ。その間に彼女が水を一杯、入れておいてくれたから、そいつを流し込んで立ち上がる。
 固形透明水彩、面相筆、平筆、平刷毛、パレット。プラのコップに水を入れ、全ての道具を紙の周りに並べていく。水を含ませた刷毛で紙面を湿らせてから、パレットにつくった色をのせていく。
 昔っからそうだった。こうと決めたら何にも惑わされない。頭の中の完成形をいかに目の前で表現するか。それしか考えない。そうやって筆を持っている間だけは全てが消えていく。「おい、後はお前だけだぞ、早く出さんか、進路希望調査」「あなた、頭が良いから、きっとかしこい大学にいけるわ。母さんもちゃんとサポートしてあげるから」「こんなの幼馴染ごときが口挟んでいいことじゃないかもしんねぇけどさ、もっと本格的に絵画、やれよ。俺、このまんまお前の才能が社会に埋もれていくところなんか、見たくねぇよ」「おいおい、彼女できたって? しかも社会人らしいじゃん。……で、どこまで、いったの?」「うっわ、マジ? どうすんだよ、隣のクラスの元カノ。まだお前のこと好きらしいぜ」
 全部、水の中に溶かし込んで、まっさらになっていく。ひとふで、ひとふで、入れるたび、ぬけていく、飛んでいく、離れていく。色彩だけが目の前に広がり、駆け巡り、それを捕まえようともがいて、あがいて、手を伸ばす。筆が色を含み、紙が色をとらえ、吸い込み、なじむ。紙面が色づくに従って、俺の心は白く、そして次第に透明へと姿を変える。
 ようやく筆から手を離した頃には、窓からオレンジがかった紫の光が射し込み、月が我が物顔で濃紺の空にふんぞり返っていた。彼女は俺の隣に立ち、ゆっくりと作品を見下ろす。
「不思議ね。ラフや下絵じゃ、さんざん悩んで苦しみぬくくせに、いざ色をつけるってなったら、迷いはなくなるんだもんね」
彼女の頭が方に寄りかかる。腕を絡められたとき、何か、ざわり、心臓の裏でうごめいた。
 やめろ、どうせ俺になんか、興味ないくせに。嫌に恋人じみたことしてんじゃねぇよ。一歩、彼女から遠ざかる。
「この作品、出来上がったら、好きにしろよ」
「え?」
「売っ払って金にするなり、何なり、好きにしろよ。そのために家出した高校生なんかかくまってんだろ」
彼女はおずおずと顔を覗き込んでくる。ため息をついて、困ったように微笑んだ。
「何よりも、あなたが大切だからに決まってるじゃない」
彼女の掌が、俺の頬に触れる。
「なんて顔してんのよ、もう」
「……ありがとう」

 子供の頃、一度だけ迷子になったことがある。人混みの激しい商店街の中、独りぼっちだった俺をただ一つ、夕日は柔らかに照らしてくれていた。いま、あの夕日と同じ光が、カーテンの隙間から俺たちに降り注いでいた。


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