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向本果乃子さん

性別 女性
将来の夢
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Be My Baby

17/11/07 コンテスト(テーマ):第148回 時空モノガタリ文学賞 【 ホラー 】 コメント:0件 向本果乃子 閲覧数:76

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 部屋に入ると冷たい風が頬を撫でた。その気配はずっと私にまとわりついていた。不思議と嫌な感じはせず、むしろ好ましかったので私はその部屋を借りた。古くて狭いアパートだ。夫とは別れることになるだろう。結婚十二年のうち八年を不妊治療に費やした。キャリアを積んでいた私は一生仕事を続けるつもりだったが、三年前治療に専念するため退社した。仕事を辞めた私は赤ちゃんのことばかり考えるようになり、夫との間に少しずつズレが生じた。結局、私が妊娠することはなかった。私は赤ちゃんに選ばれなかったのだ。
 凍結した受精卵を一つ病院に残したまま、治療のリミットと決めていた四十歳になった。最後の一つを試す気力はなかった。「若い子と再婚すべきだ」と言った私に夫は悲しげな顔をした。キャリアも棄てた私には一体何があるだろう。しばらく一人になりたかった。
 引っ越した日の夜、久々にビールを飲んでぼんやりしていると玄関に気配を感じた。振り返ると女の子がいた。薄汚れた服から覗く手足は細く、長い髪は絡まってもつれている。女の子はじっと私を見ていた。私は立ち上がりそっと近づく。「何か食べる?」驚きよりも不憫さが勝り口に出たのはそんな言葉だった。女の子は頷く。冷蔵庫はほとんど空っぽだったので、ご飯と卵とケチャップだけのオムライスを作った。女の子は夢中で食べた。食べ終わると再び私をじっと見た。ずっと子供が欲しかったが子供に慣れていない私は緊張しながら名前と年を聞いた。澪、四才。お家は?と聞くと薄い壁を指さす。隣?と聞くと頷いた。引っ越しの挨拶に行った時、金色の髪を腰まで伸ばした若い女が眠そうな顔で出てきたのを思い出す。
 虐待のニュースを見るたびこの世に神なんていないと確信してきた。虐待する親へ子供を授け、こんなにも待ち望む私たちには与えてくれないなんて。虐待された子供たちはどうして私を選んでくれなかったのだろう。澪もそんな子供の一人なのか。ママは?と聞くと「おしごと」とたどたどしく答える。こんな幼い子を置いたまま夜の仕事に行っているのか。突然、澪が膝の上に乗ってくる。湿ったように温かい体。痛々しいほど細いのに、幼児特有の柔らかい感触が不思議だった。私は澪をそっと抱きしめた。すると、ぎゅっとしがみついてくる。首筋に澪の熱い息がかかった。私がずっと欲しかったもの。涙が零れる。このまま抱いていたかった。
 いつ眠りに落ちたのか。気づけば朝で澪の姿はなかった。壁に耳を当て隣に聞き耳を立てるが訪ねる勇気はない。何をしているか自覚のないまま、私はそわそわと買い物に行き、たくさんの食材、子供の服やパジャマを買い込んだ。
 その夜、再び澪は来てくれた。作っておいたハンバーグを食べ一緒に風呂に入った。背中や腹にある痣を私は優しく撫でる。帰らなくていいの?と聞いたら黙ってしがみついてきたので、買っておいたパジャマを着せ、長い髪を乾かしてやり、一緒に布団に入った。朝になると澪はいない。しかしその夜も、次の夜も澪は現れた。
 何回目の夜だったろう。澪と一緒に布団に入り、温かい体がぴとっと寄り添ってくるのにうっとりしていた私はつい「澪が私の子だったらいいのに」と言ってしまった。すると澪は急に大人びた口調で「じゃあ生まれ変わったらきっとここに来るね」と言うのだった。
 しかし、それ以来、澪は現れなくなってしまった。
 私は眠れない夜を何日か過ごし、とうとう我慢できずに隣を訪ねた。しっかり化粧をした女がちょうど部屋を出て行くところだった。
「澪ちゃんのことなんですけど」
「誰それ?」
 睨みつけられ、しどろもどろに説明する。
「意味わかんない。子供とかいる訳ないし」
「でも」と食い下がると
「マジ勘弁してっ」と叫びヒールの音を響かせて階段を降りて行ってしまう。
 しかし、途中で足音が止まった。
「澪って言った?」
 怒鳴るように聞きながら女が戻ってくる。
「あの部屋で死んだ子の名前じゃん?」
「え?」
「あの部屋、事故物件。気色悪いけど超安いし、今まで何も問題なかったし。けど、今さら出るとか変じゃね?しかも隣に」

 調べると、二年前、確かに隣の部屋で四歳の澪ちゃんは餓死していた。男の家に行ったまま澪ちゃんを放置した母親は、隣の女と同じ金色の長い髪をしていた。

 澪が現れなくなって一ヶ月。夫が「うちに帰ろう」と迎えに来た。
 私は、凍結していた最後の受精卵を移植したことを告げる。
「今度は絶対に授かる気がするの」
 明るい声で言う私に夫は優しく、うんと応える。
「きっと女の子よ」
 私が歌うように言うと夫は頷き、部屋に散らばる澪の服やパジャマを見て困ったように微笑む。
 夫は何も知らないのだから仕方ない。私はお腹に手を当てうっとりする。
 早く澪に会いたい。
 部屋を出る時、冷たい風が頬を撫でた。


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