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四島トイさん

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長財布

17/10/23 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:94

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 同期の小崎花が落ち込んでいる。
 大方、恋人の大住誠が理由だろうと予想したら、そのとおりです、と泣き出した。話を聞いて、と涙ながらに訴える姿は意地らしくもあり、愛らしくもあったが、どうでもいいという冷めた気持ちが私の心に深く根を下ろしていた。
 学生食堂の曇ったグラスにぽたりと波紋が広がった。
「大住ごときのことで泣くんじゃないよ」
「ひーちゃんは大住君を馬鹿にし過ぎだよ」
「花。あの男は馬鹿だよ。紹介した時に私言ったよね。融通が利かない馬鹿だよ、て」
 でも、と小柄な彼女は必死に続ける。
「大住君は優しいよ。そりゃ、一度決めたらなかなか方向転換できないけど。交際記念日とか言って欲しいもの聞いてくれたりするし。嬉しくって何て答えたか覚えてないくらい」
「惚気は聞きたくないし、答えは慎重に」
 ごめんなさい、と花は顔を上げたが、上がった視線は気持ちの落ち込みに合わせるように、どんどん伏し目になっていく。
「……大住君が外国語学部の子と付き合ってる、て」
 消え入りそうな声だった。心なしか、彼女の輪郭が薄れていくように感じられた。
「最近、大学休んでるの、その子と旅行に行ってるからだって。しかも海外だって」
 私が何も言わないでいると、花の視線はどんどん遠くなっていく。まるで、海の向こうの男女の行方を思い描いているようだ。
 ひーちゃん、と花が顔を上げた。
「わたし、悪女になるよ」
 は、という言葉が一拍置いて口をついた。あのね、と彼女は続ける。
「仮に大住君に好きな人が出来たとして。それを宣言されたら。わたし、ほわーってなっちゃうよ。衝撃で」
 確かにそうだろう、と私は首肯した。
「でも、それじゃダメなの」
「ダメだね」
「うん。わたしが受けた衝撃の大きさを、寸分の狂いなく、大住君にも知って欲しいの」
 寸分の狂いもなく、という言い回しは彼女らしいな、と思えた。どうやって、と自然な疑問がわく。
「長財布で頬を引っ叩くの」
 え、と問い返す。
「ほら、ドラマとかで見るでしょ。ばしんって。でもあれって、悪女の特権みたいな気がして」
「素手じゃ駄目なの?」
「わたし、小さいから」
 彼女は生真面目な表情で手を伸ばした。学食のテーブルを挟んで、私の顔まであと少し、というところだった。
「いざというときに空振りしたら、別れる勇気がなくなっちゃいそう」
 だから修行しに行くの、と彼女は拳を握った。
 大学を出て、最寄りの駅の改札口まで来たところで、私は何となく同行することになっている己に呆れていた。
「まずは都内に出て、悪女に会うの。多摩丘陵に悪女はいないもの」
 いやいるだろう、という私の言葉は滑り込んできた電車の音に掻き消された。


 ここから先のこともまた、心底どうでもいいが、友人の行動力に敬意を表して掻い摘んで紹介したいと思う。
 都内に出ると、花はネットで調べたと言って、雑居ビルの谷間の不釣合いなまでに小奇麗な喫茶店を扉を引いた。奥の席に、妙に唇の赤い女性が煙草を吹かしていた。
 彼女こそが世に名だたる悪女氏であり、流し目だけで男を篭絡し、金銭を巻き上げ、人生を破滅させ、あまつさえ関係ない女性を巻き込んで盾代わりにするという歴戦の猛者である、らしかった。
 悪女氏は、悪女の心得なるものを花に説き聞かせた。
 曰く、嘘は息をするようにつく。
 曰く、他者の人生を省みないこと。
 曰く、悪を悪とは思わぬこと。
 その他諸々のどす黒い教理が花の中に注ぎ込まれると、長財布の贈呈式となった。
「横十九センチ。縦十センチ。ラウンドジップ開閉。本体重量二百二十グラム。素材は鹿革。柔軟性に優れ、肌触りが良い」
 これから魔法使いの学校にでも行くかのごとく選定された長財布は、花の小さな手の中で黒々と光っていた。
 それからはひたすら長財布の素振りが始まった。
 鞄から出す。膝に置く。相手に気取らせず、テーブル上に移動させる。呼吸を抑える。その刹那、机の上の長財布に手がかかり、カルタをすくいあげるように腕を振り切る。
 悪女氏の指導もまた熱を帯び、疲労に構う様子もなくなってきていた。手にした財布を机の上に戻す。そして、再度腕を振る。
 それを繰り返した。


 ついに大住誠が帰国し、大学に顔を出す日がやって来た。いよいよだね、と緊張した面持ちの花の隣に腰掛けて、そうだね、と短く応じた。
 彼女の手の中のボロボロの財布に目がいく。
「大分、痛んだね」
「うん」
「新しい財布が欲しいところだね」
「うん」
「海外の皮製とかがいいよね」
「うん」
「大住は外国語できないからさ。通訳探すの大変だったみたいよ」
「うん」
「……大住、さっさと来るといいね」
 うん、と緊張したまま答える彼女の横顔を見ながら、これも確かに悪女かなあ、というため息が漏れた。


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