1. トップページ
  2. 【エッセイ】Wの財布

野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

性別 女性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

4

【エッセイ】Wの財布

17/10/23 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:4件 野々小花 閲覧数:320

時空モノガタリからの選評

財布というテーマをよく生かした作品だと思います。財布にまつわる様々なエピソードから、野々さんの人生の一端が垣間見えてくるようでした。仕切りを持つ地味で機能的な財布の形態も、地に足のついたしっかりしたその生き方と重なってみえました。静かで落ち着いた語り口に魅力があり、離婚にまつわるさまざまな感情を赤裸々に書き連ねることよりも、財布やお金に対するエピソードという間接的な方法で、如実に人生の一コマを語ることが可能なのだなあと感心させられます。とても印象深いエッセイでした。

時空モノガタリK

この作品を評価する

 がま口の財布を手にしたのは二十三歳の頃だった。その少し前に、私は結婚して家計を預かる立場になっていた。生活費と自分の小遣いとをひとつの財布に入れて管理するのは、案外難しいことに気づいた。
 たとえば小遣いから千円を出して五百円のお釣りを貰ったとする。しばらくして財布を開けたとき、その五百円が小遣いとして使えるお金だったか生活費として使うぶんだったかが分からなくなっているのだ。レシートを全て残しておいて、後でまとめて家計簿に記入するというやり方をしていたから、どれくらい生活費が残っているのか財布の中を見てもすぐには分からない。皆はどうやって管理しているのだろう。気になったけれど、知らない土地に来たばかりで身近に相談できるひとがいなかった。

 通販雑誌をめくっていると「ダブルで便利」という商品の煽り文句が目に留まった。紹介されていたのは地味な色をした、がま口の長財布だった。生活費と小遣いを分けて入れることができる、主婦向けに作られた財布であった。
 注文すると財布はすぐに届いた。雑誌の印刷ミスかと思うくらい地味でぼやけた色の財布が、雑誌で見た通りの色のまま私の手元にやって来た。なんともいえない、くすんだネズミ色をしている。見た目は地味だったけれど、使い勝手は最高に良かった。小銭を入れる部分の中央には仕切りがあって、片方には生活費、もう片方には自分の小遣い、と紙幣はもちろん、小銭も分けて収納することができた。仕切りのおかげで左右に大きく口が開く構造になっていて、中身が見やすく取り出しやすい。
 何より閉めるときの音が良い。パチン! と小気味いい音がする。給料日にお金を下ろして、まだたっぷりと余裕のあるときは歯切れの良い音がする。けれど、だんだんと財布の中身が減ってそろそろ危ないという頃になると、パ…チン、という寂しい音に変わるのだ。 
 生活費は夫の給料でやりくりをして、小遣いは自分のアルバイト代で賄っていた。週に五日、一日五時間の勤務である。アルバイト代は全て私の自由になった。本当はそのほとんどを貯金に回していたけれど、夫には「全部使っている」と言っていた。お金に執着がないのか、私に興味がないのか、ただ物事に対して鈍感なのか。夫が私の小遣いについて尋ねてくることはなかった。毎月順調に貯金は増えていく。へそくり用の口座を作り、せっせと働いてお金を預けた。他のスタッフが病欠等で休みシフトに穴が開くと、すかさず手を挙げた。
 勤務先は駅前にあった。古い小さな写真店である。ひとりきりの店番は、仕事を覚えるまでは大変だったけれど、慣れると気が楽になった。自分のやりたいように仕事が進められた。店には色んな客がやって来る。特殊なフィルムを持ち込むプロのカメラマン、工事現場の記録を大量にプリントする作業員、写真よりおしゃべりが好きな常連客。
 同じ系列の店が近隣にはいくつかあり、私は色んな店舗のシフトに入るようになった。いわゆる便利屋というやつだ。仕事内容が同じだったから特に困ることはなかった。それぞれの店に常連客は何人かいて、その人たちの顔と名前をやっと覚えることができた頃に、私は店を辞めた。
 夫とは別れることになった。この便利ながま口の財布を持つ理由は、もうなくなったのだ。財布は初めから薄汚れた色だったから、何年も使ったようには見えなかった。愛想も可愛げもない見た目だったけれど、そのぶん丈夫だった。私はしばらく財布を眺めて、手触りを確かめるように両手で撫でて、そして捨てた。
 離婚の話を進めていく中でお金の話題になった。貯金ができないお金にルーズな人間、と夫には思われていたようである。本当はアルバイト代を貯めていたのだと打ち明けると目を丸くして驚いていた。なんだか得意気になって私は通帳と、それから家計簿も見せた。へそくり用の口座の貯金額を確かめると夫の口は、がま口の財布を開けたときみたいに、ぽっかりと大きく開いた。
 アルバイトといっても仕事だから、嫌なことがあっても我慢した。無理難題を言う客はいたし、疲れてもう行きたくないと思う日もあった。でもそのときの、なんとも間の抜けた夫の顔を見たときに、すべて報われた気がする。財布の中身に余裕があるときの、パチン! という歯切れの良い音を聞いた瞬間みたいに、胸がすく思いだった。

 最近、とても小さな財布を買った。ほとんど小銭入れに近いサイズである。それまで普段使っていたファスナー式の長財布は、この小さな財布を買ってから使う機会がなくなった。免許証や念のため多めに手元に置いている紙幣をしまうだけの入れ物になっている。小さくても事足りることに気づいた。実家に戻り、生活費のやりくりをする必要がなくなった今の私には、掌に収まるこの小さな財布で、もう充分だった。



コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/11/18 浅月庵

野々小花さん

作品拝読させていただきました。
エッセイというものはあまり読み慣れていないのですが、
夢中になって読んでしまいました。
面白かったです。

17/11/20 野々小花

浅月庵さま

お読みいただきありがとうございました。
私は専らエッセイばかり読んでいます。
エッセイは自分のことを書くので、恥ずかしさはあるのですが、楽しい部分もあります。
とても嬉しいコメント、ありがとうございました!

17/11/25 光石七

入賞おめでとうございます!
拝読しました。
落ち着いた静かな語り口に引き込まれました。
選評にもありましたが、財布を通してここまで人生の一コマを語ることができるのかと感嘆しました。
素晴らしいエッセイでした!

17/11/28 野々小花

光石七さま

ありがとうございます!
モノを通して別のことを語るというのは、意識しているわけではないのですが、私の場合エッセイではよくやる書き方です。
今回、はじめてエッセイで入賞できて嬉しかったです。
お読みいただき、コメントまで頂戴し、とても感謝しています。ありがとうございました!

ログイン