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若早称平さん

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迷い爺

17/10/23 コンテスト(テーマ):第147回 時空モノガタリ文学賞 【 迷い 】 コメント:0件 若早称平 閲覧数:415

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 先生が黒板に大きく「迷」と書いたのが始まりだった。僕達が小学六年生だった頃の話だ。将来の目標だか夢だかを話し合う授業の時だったと思う。
 クラスの意見を聞いた先生は総括として話しだした。
「迷うっていう字の米っていうのは道が八方に別れてるって意味なんだ。つまり可能性が沢山あるから人は迷うんだな。だから君達が将来を迷うことっていうのは悪いことじゃないんだ」
 先生が話すのをクラスの大半が興味無さげに聞いていた。当時放送されていた学園ドラマの影響をもろに受けたような先生で、話の長いことに皆が辟易していた。
「ただし、迷いすぎると良くないっていう例もある」
 そう前置きして先生が語りだしたのが「迷い爺」だった。先生の話を要約すると、幼少の頃近所のボロ屋に迷い爺と呼ばれる妖怪じみた男が住んでいたそうだ。彼はなにをするにも迷い、なかなか決断することができなかった。例えば彼の一日はまず布団から出るか否かと迷うところから始まる。そうしているうちに昼になり、なにを食べるか迷っているうちに日が暮れる。いつ寝ようかと考えているうちに夜が明けるといった具合だ。
 まるで都市伝説のような、滑稽な寓話のような話をした後、実は一度だけその迷い爺を見たことがあると先生は語った。友人と噂の迷い爺を見に行ったそうだ。ボロ小屋の裏の塀を乗り越え、割れたガラスの隙間から見た迷い爺は、ゴミだらけの部屋の真ん中でただぼんやりと空中を見上げていたらしい。ずっと着替えていないかのような汚い甚平を羽織ったその顔に生気はなく痩せこけ、目も虚ろだったそうだ。
 たしか最後に「君達もそんな風になりたくないのなら決断力も必要だ」などという言葉で先生の話は締められた。そんな教訓じみた話や、まして漢字の意味なんかよりも僕と僕の悪友の興味をひいたのは迷い爺が実在するかもしれないという事実だった。授業が終わってすぐに僕達は迷い爺を見た場所を尋ねた。
「俺も小さい頃だったからな、もう忘れたよ。それにさすがにもう死んでるんじゃないか? 俺が見た時で八十は越えてたぞ」
 ということは百十歳くらいか、と計算しながら「もう忘れた」というのは嘘なんじゃないかと思っていた。先生の様子が僕達にその話をしたのを後悔しているように見えたからだ。きっとそこに子供が近付くのが危険だと考えたのだろう。迷い爺云々ではなく、廃墟として。

 しばらく忘れていたその話を急に思い出したのは悪友と自転車に乗っている時だった。以前先生の実家が隣町だと聞いたことを思い出し、子供の足で行ける範囲にそのボロ屋があるのだろうと思いついたのだった。
 少し肌寒い日曜日の午後、それらしいボロ屋はすぐに見つかった。周囲は田んぼや空き地だらけで家というよりは物置に近かった。読めないくらいぼろぼろの表札がなければ僕達もこれを家だとは思わなかっただろう。
 僕達は忍び足で玄関に近付き、聞き耳を立てる。家の中から声や生活音は聞こえない。聞こえるのは家の周りに生い茂る僕達の背丈ほどの雑草が風になびく音だけだ。
 悪友がそっと引き戸に手をかける。鍵はかかっていなかった。ガタガタと音を立てて扉が開く。隙間から中の様子が見え始める。自分の唾を飲み込む音がうるさいくらいに響いた。
 中はゴミだらけで入ることは躊躇われたが、不思議と恐怖心はなかった。悪友が小声で「誰かいる」と僕に告げるまで迷い爺が実在することを信じていなかったから。
 足下がゴミに埋もれながら、迷い爺は部屋の真ん中に立っていた。まさに先生の話した通りの姿だった。だが一つだけ先生の勘違いを訂正しなくてはならない。迷い爺がぼんやりと眺めていたものだ。それはなにもない空中ではなく家の梁に括り付けられた首つり縄だった。
「わしは今二つ、迷っていることがある」
 迷い爺が僕達に気付いた様子はないのに、恐ろしくしゃがれた声なのに、それははっきりと聞こえた。空洞のような眼がこちらに向いた。
「生きるか、死ぬか。それと……お前らを殺すかどうか」
 迷い爺が言い終わる前に僕は悪友の腕を掴み走り出していた。これまで沢山の選択を迫られ、沢山の決断をしてきたが、まさにこれが僕の人生の中で最も迅速で、最も正確な決断だった。

 人気の多い所まで全速力で走った僕達はこのことは二人だけの秘密にしようと誓い合った。叱られるのが怖かったからではない。このことを誰かに話す度に迷い爺の眼を思い出すのが怖かったからだ。実際僕は今日までこのことを親しい友人や妻にさえ話したことはなかった。首を吊って自殺した悪友の通夜が行われた今日までは。彼が迷い爺の十分の一でも迷ってくれていればと、彼の遺影に手を合わせながらそう思った。


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