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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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或る女優の財布

17/10/23 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:2件 そらの珊瑚 閲覧数:143

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  朝、付き人が私を起こしに来た。 もっと眠っていたかったけれど仕方ない。今日は舞台の初日だ。私は女優。台詞。何だったかしら。いやだわ。最近忘れっぽくて。
「いいお天気。朝ごはんのあと、お散歩に行く?」
 付き人が私に話しかけた。ああ、そうだった。台詞は「いいお天気。朝ごはんのあと、お散歩に行く?」だったわ。あら、何でこの女、私の台詞を知っているのかしら。もしかして付き人ではなくて、マネージャーだったかしら。まあ、どっちでもいいわ。トーストにはバターと苺ジャムをたっぷり塗ってね。私、甘いものが大好き。甘いものは幸せな気分にさせてくれるわ。

 付き人が私を車椅子に乗せ、外へ連れ出した。ひざ掛けの上に小さなきんちゃく袋を置く。
 明るい光。
 鳥の声。
 生きてるっていいわね。ねえ、私たちはどこへ向かっているのかしら。
「公園にでも行ってみる?」
 付き人の声が天の方から聞こえた。付き人ではなくて神様かしら。
 しばらく進むと前から四つ足の獣が、人を連れて歩いて来る。ロープを首に巻いて、はあはあと息が荒い。おまけによだれまで垂らして……こっちに来るな、しっしっあっちに行け。
 けれど獣はその鼻先を私のひざかけに押し付けてきた。私を食べる気だろうか。それともきんちゃく袋の中の飴をねらっているのだろうか。これだから生きている動物は怖い。
「みーちゃん、だめよ、おばあちゃん、ごめんなさいね」
 獣が引き連れた人は、私に頭を下げながらそう言った。おばあちゃんって誰の事? みーちゃんとは誰だろう。答が見つからないまま獣は去っていった。いつもそうだ。答を見つけられないまま人生は去っていく。
 風がふうわり。
 生きている。生きている獣は怖いけれど、生きている風は優しい。
「さあ、着きましたよ。まだ桜は蕾ですけどね」
 私は着いた……さて、どこへ着いたのかしら。舞台ではなさそうね。それとも舞台なのかしら。もう幕は上がってる? そうだ、台詞よ、台詞。
「しっしっあっち行け」違うわ。違う。なんだったかしら。

「こんにちは。二時のワイドショー『あの人は今』のレポーターです。失礼ですが、女優の瀬戸雪乃さんですか?」
 いきなり現れた男が私に向かってマイクを向けた。
「止めて下さい。母は療養中なんですから」
「大変ですね。かつてジャパンアカデミー賞主演女優賞までおとりになられた瀬戸さんが、認知症というのは本当なのでしょうか?」
「だから止めてくださいっていってるでしょう」
 付き人が再び私の車椅子を押す。早い、早い。揺れる、揺れる。
「しっしっあっち行け」
 母? さっき、付き人が母と言った。母って誰の事だろうか。
「母って誰の事?」付き人が私の車椅子を停めた。マイクを持った無礼な男はもういない。
「母は、あなたの事ですよ。あなたは私のお母さん。私はあなたの娘なんです」
 付き人が私の顔をじっと覗き込む。あなたの娘と言われても、私は娘を産んだ事があっただろうか。わからない。近頃わからない事ばかりだ。私は女優。それだけはわかるのだけど、肝心の台詞が出てこない。
「しっしっあっち行け」
 ああ、これは台詞じゃないわ。でもまあ、いいか。
 付き人が涙を流してる。悲しいのだろうか。悲しいのはいけない。だってせっかく生きているのに、悲しいのはいけない。私はきんちゃく袋を開いて涙を拭くためのハンカチを取り出そうとしたが、なぜだかお財布を取り出していた。小さな花の刺しゅうが気に入って長い間使っているから、少し汚れてしまったわ。
「そのお財布、私が小学校の家庭科の授業で作ったのをお母さんにプレゼントをしたのよ。覚えてない?」
 プレゼント? そうだったかもしれないわね。小さくて可愛い手の事はおぼろげに覚えている。
「もしかしてあなた、みーちゃん?」「それはさっきの犬でしょ」
 ファスナーを開くと、畳まれたお札と白い紙が入っていた。
 付き人に「お給金よ」とそれらを渡す。
「ありがとう」付き人がそれらを受け取ったあと「あら、これ去年のおみくじだわ。……大吉。宝物に恵まれる、ですって」と言って笑ったので、私もつられて笑った。
 お財布を逆さまにして振ってみる。飴がひとつひざの上に転がり落ちた。喉にいいハチミツの飴だ。台詞をちゃんと言うには声が大切だもの。付き人が飴の袋を破り、私の口に入れてくれた。甘い。甘いのは、いい。幸せな気持ちになれる。最後の飴をゆっくりを味わう。
 だいじょうぶ、私はちゃんと幸せだ。
 そしてお財布の中はちゃんと空っぽになった。
「明日もお天気だったら、お財布を洗ってくださる?」
 私が言うと、付き人はうなずいた。

 舞台の幕が上がる。
「洗えば何度だって綺麗になる、このお財布は宝物よ」
 ほうら、ちゃんと台詞が言えたでしょう。
 私は女優。


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このストーリーに関するコメント

17/11/07 泡沫恋歌

そらの珊瑚 様、拝読しました。

どんな大女優だって、最後は認知症になって台詞も言えなくなってしまうんですね。
ドラえもんで有名な声優の大山のぶ代さんも、認知症が進んでドラえもんのことも分からなくなってるって
ネットの記事で読んだ時には、とても悲しい気持ちになりました。

17/11/21 そらの珊瑚

泡沫恋歌さん、ありがとうございます。

そうですね、ドラえもんは永遠に年はとらないけれど、声優さんは年はとりますから
そういうニュースは悲しくなりますね。
サザエさんにしても、世代交代があるたびに同じような気持ちになります。

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