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佐川恭一さん

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性別 男性
将来の夢 ノーベル文学賞受賞
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死神の財布

17/10/22 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 佐川恭一 閲覧数:153

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 自信にみちあふれた人間であることは欺瞞だ、と僕は思う。そういう人間は社会とうまくやっていけるし、異性からもあこがれられる。力強い所作と筋の通った論理、選び取った立場を明快に説明する能力。それらはとても輝いてみえる。だが僕にとってその輝きはにせものだ、それは女優にあてられるライトのようなもので、ひとを良くみせはするが、その本質を保証するものではない。もしも物事を真剣にみつめる能力が少しでもあるなら、人びとはすべての自信を失わざるをえない。
 そういったわけで、僕には友だちがいなかった。僕はいつもおどおどしていて、じぶんの意見というものを持たず、ただただ意見を持つ者に対して内心の軽蔑を抱くだけで、それを糾弾することもしなかった。僕は議論になれば必ず負けるのだ、僕のもつ意見は、自信にあふれた人間は愚かだ、というただ一つのみで、そのほかの具体的な現実に対する意見は持ち合わせていなかった。僕は無限とも思えるような情報にさらされて、じぶんの意見をつくることはほとんど趣味の問題でしかないと考えるようになっていた。あらゆる思想は、個人のたまたま接した人間の印象や偶然の体験によって作られ選ばれている。そもそも、論理的に誤っているものは思想たり得ないのだから、思想として生き残っているものはすべて論理的に説明されうるのであって、じぶんをどういう立場に割り振るかは、どの説明を受け入れやすいかという個人の趣味判断によるしかない。喫煙者は喫煙者の権利を主張するだろうし、飲酒運転が原因の交通事故で我が子を失った親は重罰化を望むだろうし、右翼に脅迫された経験のある者は左翼となるだろうし、逆もまたそうだろう。
 僕はそうやってあらゆる価値判断の能力を喪失していた。その状態が長く続いて、僕はほとんど抑うつ状態におちいった。何ひとつとして立場を選び取らないことによって、誰の仲間である資格も持たない、という孤独が僕を押しつぶしにかかったのである。笑われるかもしれないがこれはかなりの危機であって、僕は仕事を終えると繁華街を歩き回るようになった。酒に酔って肩を組んで歩くスーツ姿のサラリーマン、互いに笑い合いながら距離感を確かめ合っているうぶな男女の学生、何やら芸術論を闘わせている社会人サークルの集団――僕にはそれらすべてが涙が出るほどうらやましかった。しかし僕は職場での人間関係がじぶんにとって重要なものになるとは思えなかったし、恋愛に燃え上がるような気持ちも起こらなかったし、熱心になれるような趣味も持たなかった。うらやましいと思うと同時に、僕があれらの仲間入りを果たすことはできないという無力感もまたわき上がってくるのである。
 寂しさのうちに数々の夜を過ごすうち、僕はあるひとつの夢をみた。そのなかで死神のように青白い顔をした男があらわれてこう言った。
「お前の抱える問題はこの財布ひとつですべて解決できる、つまらない些事にすぎない」
 僕はそうして残された何の変哲もない財布を握りしめてふたたび生活を始めた。財布からは驚くべきことに無限の紙幣が湧き出してきて、僕を金銭的なすべての悩みから解き放ってくれた。僕はそれで高価な服を買い、車を買い、家を建てた。これまで僕に見向きもしなかったような社会的地位のある人間や、僕を無視していたはずの美女たちが僕にすりよってくるようになった。僕は金を手にしたことで、僕自身の本質は何も変わっていないのに、世界のすべてが好転しはじめるのを感じて上機嫌だった。毎晩のように美女をとっかえひっかえし、市長選にも出馬して当選した。僕はいまや市長だった。とにかく自信満々にみえるように話すということを僕は覚えた。僕は自分の意見に昔と変わらず自信がない、しかし、自信があるように話すための自信を、金が与えてくれたのである。やがて僕は有力政治家の若くて美しい娘と結婚し、子供にはめぐまれなかったが、幸福な生活を送った。僕の人生は僕の努力に関係なしにバラ色に染まった。僕には仲間がおり、友がおり、家族がいた。僕の手にしえないと思っていたものが、どうしても手に入るはずがないと思っていたものが、人格の変化なしに、財布一つで手に入ったのである。
そして僕はある朝、むなしくなって財布を捨てた。財産を売り払い、ほとんどを寄付に回した。案の定、僕のもとから人々は蜘蛛の子を散らすように去って行った。僕はそうなることをわかっていたのである。ただひとり、僕のもとに残ったのは妻だけだった。「もういいぞ」と僕は言った。「まだお前は若い。好きなひとのところへ行けばいい」すると妻は笑って言った。
「私、あなたの青白い顔が世界でいちばん好きなのよ」
 僕はそれで何かほんとうに救われたような気がしたが、目覚めた僕の目の前にはもはや妻も何もなく、あの日のままの孤独なワンルームがあるばかりだった。


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