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吉岡 幸一さん

性別 男性
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逃げる財布

17/10/13 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:64

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 今日も(逃げる財布)を追いかけている男を見かけた。鎖に繋がれた財布は繁華街の大通りを西から東へ真っ直ぐに飛びはねながら逃げていた。逃げる財布をどうにか捕まえようとしてスーツ姿の若い男が汗をかきながら走っていた。
「待て、サイフ、逃げるな」
 財布には耳がないので男がいくら叫んでも聞こえるわけがない。ひたすら遠くへ遠くへと跳ねていく。
 逃げる財布は今年の夏から爆発的にヒットし始め、冬になっても廃れることはなかった。国民的アイドル歌手のA子が「逃げる財布を扱える男の人って素敵」と、テレビで言ったのが流行のきっかけであった。若い男性を中心に瞬く間に逃げる財布は広まっていき、今では逃げる財布を持つことが男のステータスになっていた。
 逃げる財布とはその言葉通りに「逃げる」のである。鎖で繋いで逃げないようにしていないと、すぐにどこかへ跳ねて行ってしまう。家にいるときは頑丈な柱などに縛り付け、外出するときはズボンのベルトに巻き付けて固定しなければならない。ちょっと油断して手を滑らせてしまおうものなら、逃げる財布はあっという間に手の届かない先へ逃げてしまう。
 財布の中身を空っぽにしておけば良い。そうしたら万が一逃げられたときでも被害は少ない。そう考える男もなかにはいたが、多くの男はお金をいっぱい入れて持ち歩いていた。なぜそんなリスクを冒すのかといえば、お金を詰め込んだ逃げる財布を持っている方が格好いいからだし、逃がすことなく上手く扱っているほうが女にモテるからだった。出来る男という印象になるらしい。
 さて、ここにマスターと呼ばれる三十代の男がいた。逃げる財布をいつも十個、身につけて街を歩いていたので、逃げる財布の扱いに苦労していた男達からはあこがれの眼差しを向けられたいた。
「いままで一回も逃がしたことがないって本当ですか」
 何度この台詞を言われたことだろう。大抵はポケットの中で逃げる財布が暴れているのに苦労している男からだった。数人の若い女に囲まれて写真をねだられることもあった。マスターは街ではちょっとした有名人で、ラーメン屋にサインが飾られるほどだった。
 マスターには好きな女がいた。ローラと呼ばれている夜の女で、どうにかしてこの女を振り向かせたいと思っていた。逃げる財布を体中につけるようになったのも一筋にローラへの想いからだった。
「マスターって男らしいのね。こんなに沢山の逃げる財布を思いのまま操るなんて」
「まあね、並の男にはこのじゃじゃ馬財布は手に負えないだろうね」
 ローラはうっとりとしながらマスターの手を握っては、飛び跳ねる逃げる財布を見つめていた。
 手応えを感じたマスターは決心した。ある夜、いつものようにローラのいる店に行くと、ろくに酒も飲まず話もしないうちにローラの肩をつかみ告白をした。真面目な告白の最中でも十個の逃げる財布は暴れソファやテーブルにぶつかり、一部はローラの腰や腕にもぶつかった。ぶつかれば痛いはずなのにローラは笑顔を絶やすことはなかった。
「ぼくと結婚してください」
 男慣れしているはずのローラもこの申し出には戸惑った。デートくらいならOK   するつもりでいたのだが、結婚となれば話は別だ。
「えっと、ちょっと考えさせてください」
「あなたが望むのなら、ぼくはもっと逃げる財布を身につけますよ。二十個だって、三十個だって」
「まあ、なんて夢のあるお話しなんでしょう」
 ローラの笑みは痙攣するほどに引きつっていたがマスターは気がつかない。
「ぼくの財布はいつだってパンパンに膨らんでいるし、ぎっしりと詰まっているんです」
「格好いいですねえ」
「だから、ぜひぼくと・・・・・・」
 まるで婚約指輪を差し出すようにマスターは跳ねている逃げる財布を捕まえるとローラに向かって差し出した。
「くれるの?」急に目を輝かせたローラは男勝りの力で逃げる財布を受け取ると、中を開いて逆さにするとテーブルにひろげた。数え切れない程の一円玉がテーブルを埋め尽くした。
「ぜんぶ一円玉なんだ」
 ローラが落胆したのはいうまでもない。無言で背中を向けたローラは店の奥に入って鋏を持ってくると、マスターの体につけられた鎖を切り始めた。解き放たれた逃げる財布はマスターの体を離れて店中を飛び跳ねた。酒瓶やコップは割れ、壁は凹み、客や従業員の体にぶつかった。ローラが店のドアを開くと逃げる財布は一斉に外に出ていった。マスターは取り乱し、甲高い奇声を発しながら逃げた財布を追いかけていった。
 やがて春になり桜が散る頃には逃げる財布ブームも終わった。近頃では(鉛の財布)が流行っていて、何キロもある重い財布を持つことが男のステータスになっていた。重ければ重いほど男らしくて格好いいらしい。当然、マスターの体には十個の重い鉛の財布がぶら下がっていた。


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