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吉岡 幸一さん

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拾ってきた財布

17/10/12 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:159

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「財布を拾ってきた」と、仕事から帰って来るなり夫は言った。テーブルの上に置かれた財布は特徴のないありふれた二つ折りの黒い牛革の財布だった。使い古されていて革の張りもなく、擦り切れたような傷が無数についていた。
「駄目じゃないの。交番に届けなきゃ」
 怒ったような妻の声に肩をすくめた夫は財布を手にとって開いて中を見せると、ニヤッと笑った。
「あら、何も入っていないのね」
「コンビニの前に置かれているゴミ箱の上に置かれてあったんだ。だからこれは捨てられていた物だよ」
「財布なんてわざわざ拾ってこなくてもいいのに。この前、ブランド物の財布を買ってあげたでしょう」
「いやあ、この財布が拾ってほしがっているように見えたもんで、つい・・・・・・」
「変なの。勝手にお金が増えていく財布だったらいいわね」
 そう言うと、妻は背中を向けて夕飯の準備に戻った。カチッとガスをつけると部屋中にクリームシチューの匂いが充満していった。
 夫は拾った財布を毎日背広の内ポケットに入れて仕事に行くようになった。休みの日も一日中手元に置いて眺めたり摩ったりしている。まるでペットのように財布を可愛がっていた。不審に思った妻は夫が風呂に入っている隙に財布を取り出して中身を確認してみたが、財布は拾ったとき同様に空っぽで汚れていた。
 携帯電話と同じような感覚なのか、と思ってはみたが財布はネットも見れなければメールもできない。お金もカードも入れていないのなら使い道はないはず。妻は漠然とした不安を募らせていった。
「なんで拾った財布なんて持ち歩いているの」
 妻は回りくどい言い方をすることもなく聞いてみた。
「だって、この財布を持っていると落ち着くから」
 落ち着く・・・・・・。夫の答えに納得はできなかったが、なにか隠し事をしている様子もなかったので、妻はこれ以上追求ができなかった。
 ある日の夜、仕事から帰ってきた夫は脱いだ背広のポケットというポケットを探りながら慌てふためいていた。
「財布がなくなった。あの財布が見当たらないんだ。おまえ知らないか」
 おまえ、と呼ばれたことにカチンときた妻は「知らない」と、冷たく言い放った。
 夫は追求をすることもなく、鞄を逆さにしたり、玄関から居間まで這いずり回ったりして財布を探し始めた。ぶつぶつ言ったり、うなり声をあげたりしながら家中を動き回っている。
「外で落としたんじゃないの」
「玄関に入ってすぐに確認したんだ。だから帰ってきたときは確かにあったんだ」
 放っておくのも可哀想な気がして妻も財布を探しに付き合った。空っぽで傷だらけの財布がなくなったって構わないだろうに、上等の財布だって持っているのに、そう妻は思いながら探していると、急に悲しくなってきた。ポロポロと涙が床に落ちていった。
 涙を指先でぬぐい立ち上がった妻は、四つん這いになっている夫の後ろで腕を組んだ。
「ねえ、私と財布のどっちが大切なの!」
 馬鹿げた質問なのはわかっている。驚いて振り返った夫は小さな声で答えた。
「おまえだよ、決まっているだろう」
「本当に本当なの。財布の方が好きなんでしょう」
「財布に焼きもちか、やれやれ」
 夫はすぐに背を向けて財布を探し始める。妻は涙を堪え夫から離れていく。三年前に浮気未遂をされた記憶がよみがえってきて胸が苦しくなった。
 財布相手に浮気された気分だわ。くだらないことだと無理に思い込ませて再び財布を探し始めた。
 改めて最初からと思い玄関を探していると、夫の革靴の中になくした財布は収まっていた。黒い革靴のなかに黒い財布が入っていたから気がつかなかったのだ。
妻は拾い上げると夫に持っていこうとして思いとどまった。こっそりと台所に置いてあるゴミ箱のなかに捨てた。チラシやビニールのゴミに混じって捨てられた財布を妻は上からじっと見つめ続けた。これでいい、もともとは捨てられていたものなんだから。こう自分に言い聞かせながらも胸が痛んでくることに耐えられなかった。
 反射的にゴミ箱から財布を取り出すと、妻は早足で夫のもとに向かった。額に汗をかきながらタンスの下を探している夫の横に立つと、勢いよく財布を突き出した。
「あったわよ、靴の中に落ちてたから」
 ぶっきらぼうに言うと、財布を夫の胸に押しつけた。
 夫は頬を緩め、ほっとしたように財布を受け取ると立ち上がり妻の手を握った。
「覚えているかな。この財布と同じ財布を付き合い始めて最初の誕生日に、おまえがプレゼントしてくれたのを・・・・・・」
 妻は思わず声をあげた。記憶が鮮やかに甦ってきた。そうだ、同じ財布なんだ。
「もう、おまえって呼ばないで名前で呼んでください」
 妻は怒ったふりをしながら微笑んでいた。夫は拾った財布を大事そうに握っていた。


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