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四島トイさん

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寝ぐせ姫

17/10/09 コンテスト(テーマ):第144回 時空モノガタリ文学賞 【 事件 】 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:58

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 寝惚けている。
 そういう自覚が、ある。
 だからありもしないものを見ている。お布団の中から。カーテンの引かれた薄明るい室内を。半眼で。
 姿見の前に一人の高校生女子が立っている。制服によって記号化された、化粧をしない、わずかに幼い、現在進行形の女子像が。
 紐タイを首に回す。赤く、血管にも似たそれが首元できゅっと締まる。襟を正すと輪郭が浮かび上がり、血が通い始めたような、静かな脈動を感じた。
 黒髪に櫛が梳き入れられ、毛先が重力を思い出したようにストンと流れていく。櫛を持たぬ片方の手がそっと添えられ、柔らかな曲線を描いていく。
「……お姉ちゃん」
「おはよう」
 姉が振り返ることなく応じる。もう朝よ、と付け加える声に普段と変わった様子はない。
 ベッドを抜け出して、姉の隣から鏡を覗き込む。涼しげな表情の高校生女子と、眉根を寄せた中学生女子が並び映る。鏡の中で目が合った。
「なあに。じっと見て」
「珍しい」
「何が」
「鏡見てる。髪梳いてる。お姉ちゃんが」
 姉は、何その言い方、と笑いつつ身を翻すと窓のカーテンを引いた。私達の部屋に朝の陽が射し込む。
「だって中学の頃は寝癖があっても気にしなかったのに」
「気にしてたわよ」
「でもぴょんぴょん跳ねてたよ」
「気にはしてたのよ」
「……気にしてただけじゃん」
 そう口を尖らせる。階下から、朝ごはんですよお、という母の声が聞こえた。


 お姉ちゃんが髪とかしてたんだよ、という報告に台所に立つ母もまた目を丸くした。でもそれは私が期待するような驚きではなかった。可笑しそうに綻んだ口元はどこか余裕が感じられた。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「どうもしませんよ。お母さん」
「寝癖姫じゃ嫌?」
「名前の方が、いい」
「素敵じゃない」
「ありがとう」
 姉は食卓につくと温かな湯気の立ち上る白いお茶碗を手に取る。居間のテレビからは全国ニュースが流れ、会話が途切れる。私を蚊帳の外に置いて、話題が終息していくのを感じて焦った。
「どうもしないことないよ。大事件だよ」
「そうよねえ。誘拐だものね」
 母がテレビを指差す。隣の県で行方不明になっていた子どもが発見されていた。それが誘拐事件であること、捕まった誘拐犯が被害者の顔見知りであることが、朝の食卓に耐えられるギリギリの恐怖を醸しながら報道されていた。
「怖いでしょ。町内会でも話題でね」
「そうじゃなくて」
「理髪店の小倉さんも気をつけないとなあって。ほら、息子さんが専門学校卒業して手伝ってるでしょ」
「それよりお姉ちゃ」
「おい女の子、とか呼ばれても隙を見せちゃ駄目よ」
「だから」
「お餅くれるからってついていったら駄目だからね。背負い籠に放り込まれて、連れていかれちゃうんだから。おおほいほいって」
 おおほいほい、とおどける母に、姉が「宮沢賢治じゃないんだから」と微かに笑う。私の話は脇に追いやられていた。
「ほらほら。お餅みたいに膨れてないで。今日のお米は美味しいわよお」
 むくれる私を宥める言動とは裏腹に、茶碗を差し出す母の声は弾んでいた。


 絶対に何かあったでしょ、と言い募る私に、そんなに変かな、と姉は首を傾げた。通学鞄を背負い直し、髪をいじる仕草はどこか自信無さ気だ。
「変、てわけじゃ……」
 いつもならズレる登校時間にも追いすがったものの、姉の口から理由が窺える気配は無い。
 だからこそ、おはようございます、という姉の不意打ちのような挨拶に、私の心臓は跳ね上がった。
「はい。おはようございます」
 店先を箒で掃いていた若い男性が顔を上げた。県道沿いの小倉理髪店の前。小さい頃から散髪してくれているおばちゃんでは、ない。
 おや、というように男性が姉に視線を向ける。
「寝癖、じゃないですね」
「はい」
 姉がはっきりと応じる。微かな緊張感が隣に立つ私にも漂ってくる。
「いやあ。芸術的な寝癖だ、て母なんかは言ってたんですよ。寝癖姫だって」
「それはあまり嬉しくないです」
「そうですよね。すみません。女の子ですもんね」
「『おい女の子』て言われたら警戒しろって、うちの母が」
 構えた様子だった小倉さんの息子さんは「ああ町内会の話か」と相好を崩した。
 姉が簡単な自己紹介と当たり障りの無い世間話を終えるのを横で見ながら、私はその頬の色に目を丸くしていた。
「じゃあ気を付けて。妹さんも」
 小倉さんの息子さんはそう言って店の裏の方へ姿を消した。
 ふうっと息を吐いて高校へ向かおうとする姉の鞄を掴む。びっくりした様に姉が振り返った。どうしたの、と。
「……隙見せちゃ駄目なんだからね。連れて行かれちゃうんだからね。大事件なんだからね」
 姉は一瞬きょとんとすると、「おおほいほいって?」と僅かに赤く染まった頬のまま、少しだけ大人びた髪を揺らした。


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