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翡白翠さん

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ぼくの憂鬱な子供の日

12/04/08 コンテスト(テーマ):第三回 時空モノガタリ文学賞【 端午の節句 】 コメント:0件 翡白翠 閲覧数:1731

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 悠々と空を泳ぐこいのぼりを見た瞬間、ぼくは不機嫌になった。そして、目をそらした先には、また別のこいのぼりが。さらに苛立ったぼくは、空を見なければいいことに気づいて、目を伏せた。
 でも、その先にはおばあちゃんにくっついて回る幼稚園児くらいの男の子がいて、ぼくは、生徒に反抗された先生くらいまで不機嫌になった。
 今日がこどもの日でなければ、ぼくはこんな不機嫌になることがなかっただろう。そして、今日がぼくの誕生日でなければ、ぼくはこどもの日をこどもらしく満喫しただろう。本当に、人生とはうまくいかないものである。
 なぜ、ぼくがこいのぼりとか男の子に苛立ってたかというと、今日がぼくの誕生日であり、こどもの日でもあるからである。一見楽しい行事が二つ同時に襲ってきて、ハッピーな日にちと思うかもしれない。だが、それは大きな間違いなのである。
 なぜか、それは、誕生日もこどもの日も、子供がプレゼントをもらえる日である。それが二ついっぺんに襲ってきた。意地汚い大人がどうするのか。それはもう一つしか決まっていない。くっつけちゃうのだ。そのせいで、一年間のうちプレゼントをもらえる日にちが一つ減ってしまう。これはウイリョすべき事態である。
 たとえば、こどもの日と二週間くらい誕生日が離れている子がいるとするだろう。その子は、プレゼントがもらえるのだ。たった二週間生まれた日が違うだけで、プレゼントが一年間に一つ。プレゼントがもらえるのは十年くらいで、うまくいけば一年間に三人、平均して二人くらいにはもらえるだろう。だから、二十個くらいぼくはプレゼントを損しているのである。これは、一年間のうち、こどもの日とクリスマスイブとクリスマス。それにお正月の、四日くらいしかない、大変レアなものだ。
 うれしいレアと、うれしくないレアがある。レアって言葉は格好いいけど、悲しい事実である。
 カラスが帰る歌が聞こえた。四時半だ。ぼくは漕いでいたブランコから降りて、走り出した。家に帰るのだ。いらいらする気持ちはあるが、ちゃんと言いつけ通りに、四時半に帰ったほうがいい。それより遅れて誕生日のケーキすらもらえなかったら、ホンマツテントウである。もったいない。夕焼けを背に、車の排気ガスがたくさん入っている空気を吸いながら、ぼくは走った。

 家についた。マンションだ。マンションの五階にあるぼくの家は、なんとなく中途半端だ。エスカレーターを使うには近いし、階段で行くには遠い。まぁ、ぼくは鍛えるために、階段で行っている。日々の積み重ねが大事なのだ。テレビでは代謝がどうとか言っていたし。
 ぼくはドアを開ける。なかからは、ふわりと甘いにおいが漂ってきた。ぼくが好きなにおいだ。
「けん〜手を洗って来なさーい」
 お母さんの、どこか間延びした声が聞こえてきた。この甘い香りにはあらがえない。ぼくはいま出せる全速力で走ろうとしたけど、家まで走ってきたから息が上がっていて、無理そうだ。
 でも、お母さんもぼくの好きなケーキを用意してくれるとは、息子のことが分かっていると言っていいだろう。ケーキに罪はない。ぼくは、今日一日誕生日と子供の日は忘れて、誕生日パーティーを楽しむことにした。矛盾してるけど、そんなのは気にしない。楽しければ、いいんだ。


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