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藤光さん

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すっぽんと最後の事件

17/10/07 コンテスト(テーマ):第144回 時空モノガタリ文学賞 【 事件 】 コメント:0件 藤光 閲覧数:112

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 A区の路上で発生した通り魔殺人事件の捜査は行き詰っていた。
 現状を打開するために、捜査本部の置かれたA警察署を訪ねると受付で出迎えてくれたのは小柄で半ば白髪となった男性警官だった。古い顔なじみに私が「榊さん、しばらくでした」と頭を下げると、警官は「本庁の捜査一課長にそんな挨拶をされたんじゃ居心地悪いや。よしてくれよ」と恐縮した様子で肩をすくめた。
 私の知っている榊さんは、刑事一筋の人だったはずだ。署の受付に座っているような人ではない。そのことを訊くと短く刈った頭を掻きながら「刑事はやめた」という。
「体の無理が利かなくなってきてね。頼んで受付勤務に替えてもらってるんだ」
 色々と考えることもあったしね――。そう小さく付け加えた。
 署長が不在ということもあり、私は受付横のソファで休ませてもらうことにした。腰を落ち着けながら聞けば、榊さんは明日で六十歳になるらしい。ということは定年である。長い間ご苦労さまでしたと言おうとして、我ながらその白々しさに辟易した。四十年余りの警察人生、そのほとんどを刑事として過ごしてきた者に苦労のなかった日などあるだろうか。

 すっぽん――新任の刑事として刑事課に配属された私に、教育係として配置された先輩刑事の渾名だ。亀の一種であるすっぽんは、噛みつく力が強く雷が鳴っても離さないといわれるが、事件に食らいついたら、犯人を挙げるまで離さない――榊鉄二は、そんな刑事だった。
「相棒が『すっぽんの鉄』じゃ大変だな」
 何度そう言われたかしれないが、実際、榊さんの相棒は一筋縄ではいかなかった。とにかく、これと決めた事件と容疑者にはとことん食らいつく。聞き込み、尾行、張り込みは昼夜を問わず、一、二週間続くのはザラだった。
 ――捜査を休みたいだと。バカヤロウ、十年早えや!
 青筋を立てて怒鳴られ、閉口して逃げ出す相棒が多かった。しかし、検挙実績は抜群で、その泥臭くも「足で稼ぐ」捜査手法は、他の多くの刑事の手本でもあり続けてきた。
 そんな『すっぽんの鉄』が刑事をやめ、定年を迎えようとしている――。私は自身でも意外なほど衝撃を受けていた。

 そのとき正面玄関に小さな人影が現れた。小学一、二年生くらいの男の子だ。ひとり何か思い詰めたかのような表情で受付へやってくるので、中座を謝して榊さんが席を立った。
「どうしたんだい、坊や」
 用件を訊くと自転車を盗まれたので探してほしいのだという。
「買ってもらったばかりなのに……」
 お父さん、お母さんには話せないよと話すうちに、男の子の目にはみるみる涙が溢れてきた。榊さんは彼の小さな肩に手を置いて、ハンカチで涙を拭ってやると「小父さんに任せときな」力強く請けあった。それからのことはあっという間のことだった。男の子から自転車の形や特徴、いつ盗まれたことに気づいたのか、それはどういった経緯で気づいたのかなど、いくつかの細々したことを聞き取ると、何ヶ所かへ電話をし、大きく頷いて男の子に「大丈夫。自転車は見つかったよ」と告げた十分後には、真新しいマウンテンバイクを乗せた小型トラックが警察署の玄関に横付けになっていた。まだ目元の涙も乾ききらないうちに自転車が戻ってきて、男の子は目を丸くしていた。
「どんな魔法を使ったんです?」
 ありがとうと何度も頭を下げて遠ざかる男の子に手を振って応えながら、榊さんは話してくれた。
「タネも仕掛けもありやしねえ」
 榊さんは受付にいながら管内すべての自転車やバイクの放置状況を、毎日チェックしているらしい。
「盗んだ後、乗り捨てる悪い奴が後を絶たないからね」
 それはそうなのだが、一日に何台もの自転車が盗まれるのだから、これチェックするのは大変な労力だ。榊さんはそれを毎日、すべて記憶するようにしているらしい。
「あんたも知っての通り、以前のあたしはいっぱしの刑事でいるつもりでいた」
 しかし、被害者からお礼の言葉を聞いたことはなかったという。犯人にばかり気を取られ、追いかけて、被害者のことは頭になかった。いま、仕方なく受付に座るようになって初めて、事件の被害者に向き合うようになれたという榊さんの表情は穏やかだ。
「誰のために捜査するのか。見失っているうちは半人前。『ありがとう』って簡単な言葉にそれを気づかされたんだよ」
 そう言って微笑む榊さんに、私は殺人事件の捜査に欠けていたものに気づいた。捜査本部は犯人の目撃情報こだわるあまり、被害者の遺族に無関心すぎたかもしれない。私は捜査会議の議題を詰めるため、慌ただしく腰を浮かせた。
「榊さん」
「うん?」
「長い間、お疲れ様でした」
 そして、ありがとうございました。

 この日を限りにすっぽんと呼ばれた刑事――榊鉄二は、警察を退職した。最後の事件を無事解決して。
 


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