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クナリさん

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性別
将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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小さな温度でも、この瞬間のために生きてきた僕だと思える

17/10/03 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 クナリ 閲覧数:281

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「お疲れ、スロウハンド。昨日の稼ぎは?」
 同じ高校一年生のクシダが、僕をふざけたあだ名で呼ぶ。
 学校の裏庭はただでさえ薄暗くて気分が悪い。
 僕は制服のポケットから札束を取り出した。ほとんど千円札だが、三万円近くはある。
「財布は律義に返してんだな」
 クシダはゲッゲッと笑う。
「クシダ、僕はもうやめるぞ」
「いいぜ。でも俺は小遣いがなくなったら暴れるぞ。お前の家も家族も知ってる」
「それこそ君は捕まる」
「永遠に捕まるわけじゃないだろ。それに警察が動くのは事件の後だぜ」

 僕は主に通学路の駅で、スリを繰り返してはクシダに上納していた。
 偶然から奴に僕の特技を知られたのは痛恨の極みだった。スロウとは遅いという意味ではなく、投げるの方だ。まるで手を投擲しているかのように、人ごみの中でもすり抜けて、人の持ち物を奪うことができる。
 他人との体の接触が多いラッシュ時の駅は、僕にとっては狩り場と同じだ。
 二三メートル先の相手なら、半歩踏み込んで手を伸ばせば、内ポケットの財布すら盗める。中身を抜いて戻すことさえ可能だ。
 そんなことを始めたのは、クシダに家族を盾に脅され出してからだった。屈辱と罪悪感でおかしくなりそうだった。しかしこいつは実際に、何をするか分からない。
「仲良くしようぜ。いつまでもな」
 あの汚い笑顔を見せて、クシダは裏庭から去って行く。ずっと僕に寄生するつもりか。そして、家族も決して安心じゃない。
 僕の胎は、この時決まった。

 帰宅途中、通学路にある乗り換え駅のホームは、今日もごった返していた。
 その中で見慣れた後姿を見つける。クシダだ。
 初めて僕の特技を知った時、奴は言った。
『すげえな、財布スリ放題じゃん』
 どれほどの侮辱だったか。
 僕は、人を四人ほど間に入れて、ホームに立つクシダの背後に陣取った。ポケットの右手には小刀を持っている。これを奴の首に横から突きたててやる。そして、パニックになった人波の中を逃げるのだ。
(スリ以外に何ができるか、見せてやる)
 半歩踏み出し、右手を放とうとした瞬間。
 クシダが、クルリとこちらを振り向いた。
「いたなあ! いつか来ると思ってたぜ! しかし何がきっかけだ!」
 そう言われ、僕の目がかすかに揺れるのを見とがめられた。
「まさか女か? そうか、いいね!」
 クシダは奇声を上げながら、驚愕で固まった僕の右手を掴んできた。
「小刀かよ。じゃあお前には、電車をくれてやるよ」
 クシダが僕の胸倉を掴んで押し、ホームの白線を超えさせた。
「俺を殺そうとしやがって! お前の後で、家族も女も全員殺す!」
「離せ! さもないと」
「どうするよ!」
 僕は、右手と胸を掴まれたまま脇へ半歩踏み出した。
 そして、四方に次々と左手を放つ。
 体の自由は限られていても、財布をスるくらいなら簡単だった。たちまち僕の足元には、二桁を超える財布がボトボト落ちた。
「周囲の皆さん、これらの財布の持ち主はおられませんか!」
 すぐに周囲から、「財布がない」「俺のもだ」「何であんな所に」という声が聞こえる。
 たちまち僕の周りは人が密集した。クシダの手が僕から離れる。
 その間隙をついて、僕は自由になった右手を、人波を縫う蛇のようにクシダに放った。
 指先で奴の胸板を突く。
 ちょうど、電車が駅に滑り込んできた。

 初夏の公園も、二十時を過ぎるとさすがに暗い。
 ミツキがベンチで僕を待っていた。
「どうだった?」
「だめだった。断りきれなかったし、……殺せなかった」
「彼は?」
「二週間もしないで病院から出てくる」
「じゃあ、凄く気をつけないと」
「……怖くないの?」
「怖いわよ。だから、傍にいないとね」
 ミツキは、先週の駅で、初めて僕の技を見破った人だった。違う高校の同学年。しかし彼女は、僕を通報しなかった。
「だって、痴漢の手を捕まえてくれた恩人なのに、変な腕の動きを私が見とがめたくらいで、物凄くびっくりしてるし。しかも泣きそうな顔で。そりゃ、事情くらい聞くわよ」
 クシダと犯罪行為で占められていた僕の高校生活で、初めて人間らしさに触れた気がした。
 彼女のためにも、悪いことはやめなくてはならなかった。
「言っておくけど私、殺人なんてスリ以上に反対だから」
「いや、本当にあいつはおかしいんだって」
「そのためにあなたまでおかしくなることないもの」
 ミツキがぽんぽんと僕の頭を撫でた。
 優しいということは、人を変えることさえある。
 こんな僕でも、この瞬間のために生きてきたと思える。

 悪いことを沢山した。
 まだ謝っても、償ってもいない。
 けれど、罪をすすぐ日がきっと来る。
 正しさを信じることができたら、戦えるから。

 闇の中でも、僕の嗚咽は隠すことができなかった。


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