くまなかさん

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性別 女性
将来の夢 自立
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形見

17/09/28 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 くまなか 閲覧数:235

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 この財布もケイコが幼い頃には、うつくしい朝焼けの色をしていた。今は余り触れない、フリップの下のみが薄いあけびいろをして、上下には長く使われてすり減った牛革の茶色が染み出ている。祖母の遺品で、気づけばケイコの手元にあった。良い物を長く使うをモットーにした祖母が最も愛用した一点ものだけに、母も処分しきれなかったのだろう。ケイコはそれを家庭の一時的な札入れにした。一人娘ももう大学生になり、学費諸々で十万二十万を土日を挟んで保管する時もあったから。なにせ、持ち運ぶには重くて大きい財布だ。
「おい、ちょっと明日飲み会だから……」
 夫が安ネクタイを首に巻き、ケイコに金をせびる。もう今月だけで五度目。「はいはい」営業一筋ならば、付き合いも仕方ないと割り切って、ケイコは五千円を夫に渡す。
「もうちょっと」
「今月だけでもう、五回目じゃない」
「今度の接待先、高級志向なんだよ」
「それこそ経理に頼みなさいよ。来月学費があるんだから」
渋々、ケイコは例の財布に(ごめんなさい)謝りながら一万円を抜き出した。近頃これが増えてきていたけれど、機嫌よく働いてもらわねば、学費どころの話ではない。
 謝罪もしたくなる。既に擦り切れ初めている革に対して、金具は金色のままで、ケイコは合金ながら本物だろうと睨んでいた。それだけに、ハレの日ケの日を鮮やかに使い分けていた祖母の顔が浮かぶのだ。
 その祖母が、今夜に限って夢枕に立つ。もの言いたげな目をして、ケイコをじっと見下ろした。
 翌日には、レジ打ちのパートの給料と切れた化粧品の有無を確認して、ケイコは一万円を財布に戻した。(心配、ありがとうございました)こころのなかで、矍鑠としていた祖母へとお礼を言って。
 県外の大学にいる娘に、電話で笑い話として話して、お仏壇に手を合わせ、それで終わりになるはずだった。
 理不尽なクレームも、同僚の陰口も、軽やかに笑い話として聞いてくれるから、ケイコにはありがたい、できた娘だ。娘は少し黙り込み、それから、突然帰るから、外で会おうと言った。口ぶりが不穏で、ケイコも「いいけど……」反応が鈍った。娘は強引に来週の水曜日、昼過ぎを指定して、電話を切った。
 姑の来訪をパートを理由にやり過ごし、約束の時間に、若者ひしめくカフェで肩身を狭くしていると、娘は目が合うなり、口元を引き締めた。そうすると、ケイコの祖母に似ていた。
「おかあさん、場所を移そう」
 カラオケボックスの狭い個室で、娘はカフェオレを片手に「おとうさん浮気してるよ」淡々とファイルを差し出す。ケイコは顔を手で覆う。証拠は無かったが、そんな気はしていた。少し深呼吸をして、震える手でファイルを開く。
 特徴的な後ろはげの、中年太りのおじさんに、制服の少女が腕を絡めている。
「どうするかはお母さんに任せるけれど……時効は知ってから三年だって」
もう、娘も大学二年だ。取り乱すほど子供ではないのだろう、ケイコはそのことにも絶望した気分で「……少し、考えさせて」ファイルを受け取り、鞄へ入れた。
 夫とは中学生からの一途な付き合いだ。それだけに、しばらくケイコの記憶は飛び、気づいた時には姑に平手を入れていた。
「貴彦さんに言いつけるから!」
鼻息荒く我が家から出ていく姑を見て、ふとケイコは財布を手に取る。幸い、娘の学費はきちんと支払っていた。ただの、空っぽの財布だ。それが、口を開く。

『男なんてね、追うもんじゃないよ。細かい事に付き合うだけ無駄なんだから』

 確かに、祖母の声だった。ケイコは笑って、ファイルの中身を見返す。証拠としては要らない。ただ「娘ほどの子供をたぶらかすのは許せないな」どうとっちめるかを相談する為に、ケイコは娘の電話番号を探した。


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