井川林檎さん

ネット小説を書いております。 PR画像はカミユ様からの頂き物です。

性別 女性
将来の夢 小説をずっと書き続けていたい。
座右の銘 人は人、自分は自分。

投稿済みの作品

0

二択

17/09/25 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 井川林檎 閲覧数:214

この作品を評価する

 魔法の財布に憧れていたが、考えを改めようと思う。


 
 「筒井さん、お子さんまだ小さいし、これからお金かかるね」
 と、先輩から言われた。 
 わたしの不景気面に気づいたのか。

 昼休みだった。



 人手不足である。

 うちの介護施設では、夜勤帯はおろか、日勤帯も満足な人数が取れない。
 一人一人の負担が、相当、重い。
 (魔法の財布があれば仕事辞めるのに)

 「お金さえあれば」
 と言ったら、先輩は話し始めた。



 「筒井さんがうちに就職する前」
 カップ麺にお湯を入れながら、先輩は話す。

 今、休憩室にはわたしと先輩の二人だけ。

 
 こんな利用者がいたよ。
 先輩は言った。



 Aさんとしようか。女性ね。
 入所した時点では車椅子を自操して、トイレに通っていた。
 だけど転倒事故以来、職員の介助つきになって、それで分かったんだけど。

 「紙が絶対にない」

 わたしは首をかしげた。

 一瞬「髪がない」のかと思ったが、「紙」がない話らしい。

 「トイレにAさんをお連れするでしょ、紙がないの」

 その時点でAさんは、多少の歩行くらいはできた。
 食事も入浴も自立。当然、紙でお尻も拭くこともできるはずだが。

 「肝心の紙がない」

 居室のトイレに紙がない。Aさんが入る時に、必ず紙が切れている。
 毎朝、補充されるペーパーが、色々な事情でなくなっている。

 物を取って行く利用者さんが、Aさんの居室のトイレからペーパーを持ち去ったり。
 別の利用者が間違えてAさんの居室のトイレに入り、ペーパーを全て使ってしまっていたり。
 
 「やむを得ず、職員が清拭タオルでお尻を拭いていた。Aさんも文句を言わないから、みんな、またかと思いながらも対応していた」

 ところがある日、Aさんのトイレ介助をした先輩は、トイレットペーパーが、未使用で収まっているのを見た。思わず、先輩は言った。

 「今日はイケますよ」

 だけどAさんは、こう答えた。
 「いえ、駄目です」

 先輩は腹で笑いながら、Aさんに便座に座ってもらった。
 トイレが終わってAさんに立ってもらい、「どうぞペーパーで拭いて」と囁いた途端、それは起きた。

 トイレットペーパーのホルダが「自然に」上がると、中のロールが、下に落ちた。
 ロールは、真下の床に転がるかと思いきや、目に見えない手により宙を飛んで、便座の中へ「ぼちゃん」。

 トイレの水に浸されたロールは、使い物にならなくなる。
 
 Aさんは言った。
 「わたしはトイレットペーパーに縁がないんです」

 
 「Aさんが言うには人の幸運には定量があるそうで」
 財布に入るお札に限度があるように。

 あと1分。
 先輩は時計とカップ麺を見比べた。
 
 「Aさんは43歳の時に宝くじに当選した。ただ」
 どうしてか、トイレットペーパー運がなくなってしまったという。

 外出先でトイレに入っても、ペーパーが切れている。
 コンビニや公衆トイレ、入るところ全てペーパーがない。

 
 Aさんは水に流れるタイプのティッシュを常持していたが、いざトイレに座った時、そのティッシュを車に忘れてきていたり、まるごとトイレの水に落としてしまったりした。
 
 「一度なんか、今にも拭こうとしたティッシュを、公衆トイレに舞い込んだ雀が摘まんでいったって」

 ばさばさっ、チュン、チュチュンッ!
 うわあっ、なにをするこの茶色野郎っ。

 くすっと先輩は笑った。
 「小はともかく、大の時に困ったって」


 だからAさんはウオシュレット付きのトイレばかり選んで入っていた。
 ところが、うちの施設にはウオシュレット付きトイレがない。

 「ウオシュレットのある施設は満員で、うちしか空いてなかったらしい」
 
 Aさんの家族は、とにかく施設に入れたがっていた。でもAさんはうちの施設に入ることを渋っていた。

 「Aさんは良い方だったから、職員は皆、歓迎していたよ。入所を渋っていたって分かったのは、だいぶ後になってから」
 

 
 

 「Aさんはやがて、全日オムツになった。もうトイレに立たなくていいと聞かされた時の、Aさんの顔ときたら」

 お湯を入れて3分。
 先輩は蓋を開く。湯気が立ち上り、先輩の丸い眼鏡に膜を作る。




 「万札と引き換えに、日常的に使う紙とのご縁が切れました」
 やがてAさんは、入退院を繰り返したのち「看取り」対応となった。
 亡くなる少し前、Aさんは、担当職員である先輩に告げたという。

 「目に見えない次元で、どっちを取るかという、選択があったのかもしれません」




 魔法の財布と、一生分のペーパー。
 先輩は笑った。

 「福沢さんで、お尻は拭けないもんねえ」


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン