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マスク

17/09/22 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:0件 みーすけ 閲覧数:100

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 あの人はいつもマスクを着けている。
 何故だろう? 風邪をひきやすいのか、それとも花粉症か。
 会社で見かけるその女性。私とは別の部署で働いている。初めて見たその日から、彼女はいつもマスクを着けている。
 鼻から下は見えないが、瞳はいつも潤んでいる。光彩は澄んだ茶色だ。私の視線はいつもそこに惹きつけられてしまう。彼女の瞳を見ていると、不思議と心に忘れかけていた感情が蘇る。彼女の瞳の色は、干上がりかけた私の心に、冷えた透明な雨滴のように沁みた。
 だが最近、私はマスクの下が気になって仕方ない。目を見ているだけでは、満足できなくなってしまったのだ。
 彼女の素顔が見たい。
 しかし、マスクを取って見せてください、と言う訳にはいかない。いきなりそんなことを頼んでは変質者と変わりがない。
 だが、どうしても見たい。どうすればその素顔が拝めるだろうか。
 思い詰めた私は、とうとうある日の昼食時、彼女の後をつけていくことにした。ストーカーまがいの行為だが、私のマスクの下への興味はそれほどまでに高まっていたのだ。もうこれ以上、このままの状態では暮らせない。私は箸も手に着かないくらい、彼女に心を奪われていた。
 彼女は今、ある路地に入った。人気がない路地だ。こんなところでランチを食べるのだろうか。
 彼女の姿が曲がり角に消える。私は見失わないように、走って後を追いかけた。しかし……。
 角を曲がると、彼女はそこで私を待ち受けていた。
「なぜ後をつけるの?」
 私は、そのときはじめて、自分に向けて発せられた彼女の声を聞いた。声も澄んでいた。澄んだ瞳と澄んだ声に、私の心まで透き通っていくようだった。私はこうなったらもう、正直に話そうと思った。彼女に嘘を吐くことはできない。
「あなたのマスクの下が見たい」
 私はとうとう、そう口にしてしまった。言ってから、その言葉がどう響くか嫌というほど思い知らされた。それは、絶望的なまでに滑稽で、厭らしく、みじめだった。
 私は顔をこわばらせ、返答を待った。彼女は一体どんな反応を示すだろう? もしその目に嫌悪の色が浮かんだら、私には耐えられるだろうか。
 彼女は、こう言った。
「だってうつったらわるいもの」
 予想外の言葉だった。戸惑いつつ、私は尋ねた。
「風邪をひいているの?」
「そういう訳じゃないんだけど……」
「うつったってかまうもんか。僕はあなたに夢中なんだ」
 私の本音だった。どうなっても構わない。もう後には引けなかった。
「見たら、後悔すると思うわ」
「そんなことはない。絶対に後悔なんてしない」
「絶対に?」
「約束する」
 すると、彼女は「そこまでいうなら」と、マスクに手をかけた。
 心が浮き立つようだった。遂に彼女の素顔が見られるのだ!
 そして……、
 彼女はゆっくりとマスクを外しはじめた。私は息を呑んで見守った。
 その下にあったもの、それは驚くべきものだった。いや、そんな言葉では生ぬるい。信じられない。それは、私の想像を完全に超えたものだった。私の体は硬直した。そして寒気が、体を駆け上がってきた。
 彼女の口は耳まで裂けていた。その顔は、不気味に笑っているように見えた。

 数日が経った。
 見るべきではなかった。私は後悔していた。ああ、何も知らなかった頃に戻りたい。これは知るべきことではなかったのだ。永遠に。
 だが、私は彼女の忠告を無視して、見てしまったのだ、彼女の真実の姿を。もう、戻ることはできない。澄んだ瞳に憧れていたころの自分へ戻ることは。
 そして、おかしなことに、私は最近何故だか口の端がむずむずするのを感じていた。

 さらに数日が経つと、口の端に激痛が走り始めた。それは耐えがたい程強かった。
 私は彼女の言葉を思い出していた。
(うつったらわるいもの)
 確かにそう言った。うつったらわるい、と。つまりそれは伝染するのだ。
 馬鹿な! そんなことあるはずがない。私は必死で否定しようとした。
 しかし私はもうひとつ、彼女が言った言葉を思い出した。彼女は真実の姿を見せた後、私に約束させた。この事は誰にも言ってはいけないと。何があっても絶対に。
 ――そう、口が裂けても。


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