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本宮晃樹さん

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アインシュタインの約束事

17/09/22 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:382

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 うちの研究部門にはアインシュタインに刃向う身のほど知らずがいる。
「いよいよですね」わたしはその身のほど知らず(槇村さんという名のおじさんだ)と一緒にモニタをのぞき込みながら、「加速器稼働まで一分を切りましたよ」
「うん」気もそぞろに壮年の研究者はうなずいた。「うん」
 彼がわたしを空気がなにかみたいに扱うのも無理はない。超光速粒子であるタキオンの検出実験がいままさに、海底を貫いてぐるりと地球を一周している超大型粒子加速器〈シートロン〉によってなされようとしているのだから。
「あると思いますか、タキオン」
「あるとも」彼は薄く目を閉じている。「あるに決まってる」
 身を切り裂くような鋭い緊張感がみなぎっている。
 間もなくふたつの陽子が光速の99.9――以下えんえんと九が続く――%で撃ち出された。
 それらは反対方向に地球を半周し、およそ0.267秒後に正面衝突した。

     *     *     *

 いつだったか、槇村さんからタキオンの研究をなぜやってるかしつこく聞きだしたことがある。
「だって香苗ちゃん、タキオン粒子は超光速なんだよ。アインシュタインの約束事が覆るかもしれないってのに興奮しない物理屋がいるかね」
 わたしは忍耐強い笑みを浮かべた。
「わかったよ、観念する」目玉をぐるりと回してみせた。「とても信じられんだろうが、これでも若いころは婚約者がいてね」
「配偶者は理論物理だって聞きましたけど」
「ちぇっ、みんなそうやって誤解してるんだもんな。もしかしてそれのせいかね、ぼくがモテないのは」祈るような調子で、「所帯持ちだから女の子が遠慮してるとか」
「ちがうと思います」
「あ、そう」がっくりと肩を落とした。
「タキオンに魅せられたエピソードはどうなったんです」
 不まじめな態度が消えた。「例の婚約者は死んじゃってね。交通事故だった」
 わざとらしく慮る場面の到来だ。が、面倒だったので省略した。「それで?」
「失意のどん底で当時取り沙汰され始めたタキオンのことを聞いたのさ。超光速ってのはつまり、この粒子がAからBへ移動したという事象を観測したときに順序があべこべに見えるってことだ」
 キャッチボールのたとえでなんとか理解してほしい。人間は事象を光によって感知する。いっぽうタキオンはそれを超える速度で動く。通常の因果律ならタキオンを投げる→キャッチするの順番で観測できるはずだが、光速を超えるとその順序はどちらでもよくなってしまう。因果律が破れれば過去への旅も可能かもしれない――ということで、当時はどえらい騒ぎになった。
「情報は電磁波に乗せられるだろ。もしかしたらタキオンにもそれを乗せられるかもしれない。つまり過去へ情報を送ることができる」
「婚約者に事故を避けるよう警告したい一心で、いままでやってきたんですか」
 彼は答えなかったが、表情はそうだと言っていた。

     *     *     *

 結果的に言うと、タキオンはあった。
 因果律を破る粒子の観測なんてできっこないと思われるだろう。もちろんその通り。わたしたちは間接的な証拠で我慢するしかなかった。
 超光速粒子がもし存在するのなら、陽子の衝突より「前」にそれが観測されていてもおかしくはない。そして実際、未知の粒子――チャームクォークやらタウニュートリノやらでないまったく未知の――が観測されていたのだ。実験よりほんの1フェムト秒前に。
 フェムトだろうがナノだろうが、時間をさかのぼって観測されたことに変わりはない。タキオンはある。たとえその存在時間が短すぎて情報を送るには不適格だとしても。
「槇村さん」マスコミの取材地獄もようやく落ち着いた。いまや彼は世界的な理論物理学者である。「おめでとうございます」
「素直に祝辞を述べてくれるとは、香苗ちゃんらしくないぜ」
「あんまり嬉しそうじゃないですね」
「嬉しいさ」肩をすくめた。「嬉しいとも」
「あたし思うんですけど」
 おじさんは興味なさそうに、「言ってみたまえ」
「槇村さんはアインシュタインの約束事を破ったんですよね。この宇宙の最高速度が光速じゃないってことを証明することによって」
「ほんの1フェムト秒ほどだけどね」
「だったらもう、過去に交わした約束も破っていいと思うんです」
 気の遠くなるほど長い間が空いた。やがてぽつりと、「そうだろうか」
「そうですよ」背中をどやしつけてやった。「タキオンは過去も未来も自由に行き来するんでしょ。だったら槇村さんも未来へ目を向けなきゃ」
「とは言うものの、ぼくみたいな中年を好いてくれる女の子をいまから探すのもなあ」
「しかたないですね」思い切って彼の腕を取った。「その手間を省いてあげます」


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