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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書くことの勉強をしています。

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夜明けの約束

17/09/21 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:0件 野々小花 閲覧数:128

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 自分の父親のことを、侑史は知らない。誰が父親なのか、母自身、わかっていなかったのかもしれない。母はそういうひとだった。小さな町の、駅前にある時代遅れのスナックで働いていた。客の男と関係ができると、侑史と暮らすアパートには、滅多に帰って来なくなった。
 男に夢中になると、子供の存在など忘れてしまうのだろう。度々、電気やガスや水道が止まった。滞納を知らせる通知書を握りしめて途方に暮れる。仕方なく、カップラーメンをそのまま齧った。喉が渇けば、近くの公園の水飲み場へ行く。物心ついた頃からずっと、そういう生活だった。
 高校を卒業する少し前、母は男と町から出て行った。侑史はそれを、アパートの隣の住人から聞いた。面白い話ではないのに、侑史は笑っていた。口元を歪めながら、溢れるものを堪えるように、笑っていた。期待して裏切られることに慣れて、それでもまだ期待してしまう。それを、もう、繰り返さなくても良くなった。 
 しばらくして、侑史も町を出た。繁華街のある大きな街で、働く場所はすぐに見つかった。深夜のコンビニで働いて、古い小さなアパートへ帰るだけの、代わり映えのしない毎日。この五年間、ずっとそうだ。

「今日はお客さん少ないね」 
 深夜一時過ぎ、品出しをしながら同僚の結菜が鼻歌をうたっている。フライヤーを洗う手を止めて、侑史は外を見た。暗い夜の中に、細く光るものがある。外のゴミをまとめたとき、小雨が降っていたのを思い出した。
「そういえば雨、降ってた。そのせいかも」
「良かった。今日、傘持ってきて」
 結菜の声は弾んでいる。同い年の結菜とは、最近、少し話をするようになった。
 侑史がこの店に来た同じ頃に、結菜もここで働き始めた。明るい性格だけど、無遠慮に他人に踏み込んでくるタイプではない。同い年だと知ったのも、随分と後になってからだ。
 結菜の、後ろでひとつに束ねられた長い黒髪は、綺麗で繊細な糸のようだと思う。それぞれのパーツは控え目だけれど、整った顔立ちをしている。色白の小さな手がテキパキと商品を陳列させていく。
 好きになってもおかしくない、と遠くから自分の声がする。でも、無理だろう、ともうひとりの自分が耳元で囁く。どうやら、自分は、異性に恋愛感情を持てないらしい。
 かといって、同性の誰かに心惹かれたこともないから、人間そのものが苦手なのかもしれない。

 結菜から妊娠していると聞かされたのは、窓の外が明るくなって、勤務時間もそろそろ終わろうかというときだった。
「無責任すぎるだろ、そいつ」
 相手の男には家庭があるらしいと知って、思わず口をついて出た。他にも、言いたいことはたくさんある。でも、結菜の優しい顔を見たら、それ以上何も言えなくなった。
「私ね、施設で育ったから、毎日、親のいる家に帰れる子が羨ましかった」
 遠い日々を辿るかのように、ゆっくりと結菜は言葉を続ける。
 決して侑史という他人に踏み込んで来なかった理由がわかった。結菜の中にも、触れてほしくないものがあった。
「それなのに、駄目だね。私も、お父さんとお母さんがいる家を作れなかった。ひとり親だと、やっぱりこの子は辛い思いをするんだろうな」
 まだ膨らんでいない薄い腹を、結菜は撫でている。懺悔するように、たどたどしい手つきで撫でている。
「ひとりでも、大丈夫だよ。そばにいてくれたら、子供は。きっと、それだけで大丈夫だ」
 誰にも言いたくなかった。言えないと思っていた。あの、惨めだった子供の頃の話を結菜にした。
 そばにいてくれるだけで良い。そしたら、こんな風に、自分を惨めだなんて思わずに済むだろう。たぶんきっと、ちゃんと誰かを愛せるだろう。

 初めて他人に、心のうちを明かした。痛みがぶり返すような、気持ちが軽くなったような、不思議な感じがした。
 結菜は、男が暮らすこの街から出て行くことを決めた。
 最後の日、勤務も無事に終わって、二人でコンビニを後にした。
 早朝の空の下、人通りはいつもまばらだ。普段そうしているように、三叉路にある信号のところで結菜と別れた。
「またね」
 いつもと同じ挨拶を交わす。明日から、結菜はこの街にいない。またね、と言ったのに、いつ会うのか、連絡先も聞かないままだった。
 でも、またね、と言った。またね、と言い合った。だから、あれは、再び出会うための約束だ。
 結菜のいなくなった深夜のコンビニで、夜明けの街で、三叉路の信号で、侑史は時々、彼女の面影を探す。
『またね』
 何の確証もない約束を、侑史は自分の中に、大切にしまっている。



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