1. トップページ
  2. ロートレアモン伯爵と住職の白

吉岡 幸一さん

性別 男性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

ロートレアモン伯爵と住職の白

17/09/14 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:406

この作品を評価する

 旅は解剖室の人体模型に似ていると男は思っていた。それがどんな意味なのか考えなかったが、焼いた大蒜の臭いよりはマシなような気がした。
 黒い醤油の雨が止んだ後も車を泳がせ続けていると、百万の玉ねぎが空から降ってきて車体に凹みを増やしていった。男は目的の地に向って迷うことなく走っていった。クラゲの道はよく跳ねて、ツバメの心臓は発情した子犬のように波打っていた。
 明かりのない真っ暗なトンネルを抜けると寺の山門があった。真昼の底が白かった。茅葺き屋根の山門はいつの時代から建っているのか黒ずみ、木の柱は所々ひび割れていた。山門をくぐった人は少ないのだろうか。門の下には土にまみれた小石が散らばり草もが伸びきっていた。
 車を降りてしばらく山門を見上げていた男は迷いながらくぐっていった。用がなければこんな荒れはてた寺など来なかった。
 この地に出張で行くと母に言うと、一冊の本を渡し住職に返してほしいと頼まれたのだった。ロートレアモン伯爵の詩集、文学にまったく縁のなさそうな母親がシュルレアリスムに影響を与えた作家の詩を読んでいたなんて、まったく予想もしていなかったし、寺の住職と知り合いだなんて聞いたこともなかった。
 そういえば大学を卒業したばかりのころ、一人旅をしたことがあると母は言ったことがあった。きっと旅の途中にこの寺に立ち寄り何かの話の流れでロートレアモン伯爵の詩集を借りたのだろう。母が大学を出たばかりならもう三十年は前のことだ。なぜ今頃、と思わないでもなかったが、三十年前に借りた本を大切に取っておいた母の気持ちを思うとこの本には何か特別な意味があるような気がした。
 本堂に向かう途中の池の前に法衣姿の住職はいた。腰を屈めて座り、池から体を半分出している亀をながめていた。しだれ柳が風に揺れ、濃い影が住職の背中で踊っていた。
 あのう、と声をかけるとのっさりと住職は立ち上がり天を指さしたと同時にクルクルと回転し始めた。
 すると一瞬男の意識は下降しはじめたがすぐに鮮やかさを増していった。月が太陽の隣にあり、スイカが木魚の下で泣いていた。亀の甲羅は乙女の人骨で出来ていて、空を釈迦がクロールで泳ぎながら笑っていた。金の池はひび割れて、泳ぐ鯉は体半分を切り取られ、影という影が使いすぎた肛門のように口を開けていた。
「ロートレアモン伯爵の詩集を母から預かってきたんです」
 住職は頭を叩くと飛び上がって仏壇が裂けるような奇声を発した。
 解剖台の上ではアイロンで焼け焦げた如来像が苦笑いをしながら苺飴を食べていた。
 住職は男の荒れた顔をみてすぐにわかったようで、男を抱きしめると耳たぶにキスをした。
「いつか彼女に子供が出来、その子が一人前になったらこの本を返しにくる約束だったんじゃ。ついに、ついに約束は果たされた」
 住職は踊りだした。両手両足を交互にあげて激しく回り出した。
 焦げた人肉のダンス、甘いバラの香りが百万の鐘を打ち鳴らす。血の骨壺は濡れた二本指のハサミと交わっている。
 臭い、臭い、もう止めてくれ。五つ星の精進料理は絶望していた。
「それじゃ、ぼくはこれで。仕事がありますので」
 男が逃げるように帰ろうとすると、住職は怒りを隠すことなく袖をつかんだ。
「なぜ、踊らないんだ。約束は果たされたのじゃぞ。さあ、踊るがよい。祝うのじゃ、このめでたき日を祝うのじゃ」
「先を急ぎますので・・・・・・」
 男が無理やり振り払うと住職は尻餅をついた。シワシワの手が震えている。
「さあ、解剖を始めるのじゃ、腹を割き、心臓をつらぬき、目玉をくりぬいて叫ぶのじゃ。ここで善は偽善と愛し合ったのだと」
 住職はロートレアモン伯爵の本を高くあげて叫んだ。本には太陽の光が注いでいる。
 もう何が何だかわからない。男は這うように逃げると急いで車に乗り込んだ。エンジンをかけ、来た道を戻っていった。
 するとバックミラーに写る影があった。住職がものすごい早さで追いかけてきているのだった。法被の裾を両手で持ち上げながら追いかけてくる。顔の右半分は笑い、顔の左半分は泣いている。頭には白い便器を被っているではないか。
 男は叫びながらアクセルを踏んだ。老人をはね、子供をはね、犬をはね、人体模型をはねた。尿が空から降ってくるようだった。
 ダダ、ダダ、フウ。ダダ、ダダ、イスム。
 いくらスピードをあげても逃げ切れないと思った男は道の真ん中に車を止めた。すぐに追いついた住職は被っていた便器を脱ぐとほっとしたように男に渡した。
「お前に子供が出来、その子供が一人前になったらこの便器をもってくるように言っておくれ。いいかい、約束じゃよ」
 住職はそう言うと勢いよく屁をして、寺へと駆け戻っていった。
 男は車の後部座席に便器を乗せるとため息をつきながらエンジンを吹かせた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン