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宮下 倖さん

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雑貨屋スピカの店長さん

17/09/11 コンテスト(テーマ):第142回 時空モノガタリ文学賞 【 上司 】 コメント:0件 宮下 倖 閲覧数:90

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 開店前、雑貨店『スピカ』の空気がぴりっと揺れた。
「瀬尾くん、フォトスタンドの値段つけ間違えてる。すぐ直して。それとピアスのコーナー、秋っぽく工夫できないかな。あと、大通り側のガラス、もうちょっと丁寧に拭いて欲しいんだけど」
「はい店長」
 はきはきしたあずさの声に瀬尾はやわらかく応じた。
 近くにいたスタッフにいくつか指示し、瀬尾自身はタオル片手に窓に向かう。そのうしろを同じくタオルを持ってついてきた橋谷が声を低めて「瀬尾チーフ」と呼んだ。
「店長、きつすぎないっすか? 俺、ここで働いて日は浅いっすけど、店長が仕事できるのはわかります。でもあの言い方はちょっと……」
「ぼくには言いやすいだけだよ。べつに理不尽な話をされてるわけじゃないし」
 でも、と渋る橋谷をなだめ、瀬尾はガラスを拭き始めた。開店まであと三十分。やることはまだまだある。

 スタッフの動きが慌ただしくなったのを見てあずさは小さく息を吐いた。瀬尾と橋谷の会話も耳に届いている。
 瀬尾には必要以上にきつい言い方になってしまうし、もしかしたら自分はスタッフに好かれていないかもしれない。もう少し柔らかい言いようはあるのだろう。
 承知はしているが、自分が店長であり、店やスタッフに対して上司の責任を負う立場である圧があずさの態度を厳しいものにさせている。
 ときに「店長」という重い鎧に潰されそうになるが、仕事中それを簡単に脱いではいけないのだ。
 あずさが隠すように小さくため息をついたとき、宅配便業者の元気な挨拶が聞こえた。
 先日注文した商品が届いたようだった。
「なにこれ?」
 ダンボールを開けたあずさは思わず声を高くする。その声音に瀬尾はじめスタッフが仕事の手を止めてあずさの元に集まってきた。
「あ、クマムシの置物……」
「どうしてこんなに? ちょっとおためしじゃなかった?」
 先日新商品を物色中にネットでみつけたクマムシの小さな置物。デフォルメされてはいるが元がクマムシである。
 だが妙に目を惹くものであったし、女性スタッフが「キモカワ〜」と盛り上がったので、試しにと20個の注文を決めたはずだった。
 しかしダンボールに詰められているのは大量のクマムシたちである。
「あ……俺、もしかしたら注文、桁ひとつ間違えた……かも……」
 震える声を出したのは橋谷だった。その場の視線が橋谷に集中し、彼は「すみません!」と身を縮めた。
 あずさは同梱されていた注文書を手にとる。
 数量が200になっていることを確認し、数秒考えたのちスタッフに指示を飛ばし始めた。
「メインディスプレイを変更しましょう。秋小物を一時撤収してクマムシの特設コーナーを作って。あと目立つポップを描きましょう」
「クマムシ密かなブーム! とか煽ります?」
 瀬尾があずさの傍に来てうすく笑む。あずさは首を振り「嘘はだめ」と言った。
「正直に“注文数間違えました。お願い買って!”って情に訴えて泣き落としましょう。値段はぎりぎりまで落とす」
 笑って頷いた瀬尾が慌ただしく動くスタッフに指示を重ねた。
「ディスプレイができたら写真撮ってTwitterに投稿しよう。Twitterやってる人は拡散に協力して」
「あの……っ、店長、チーフ!」
 橋谷がふたりに駆け寄る。
「今日、近くで秋祭りやってるんす。俺、呼び込みしてきます!」
 あずさと瀬尾がうなずくと、橋谷は弾丸のように飛び出していった。

 結果として200個のクマムシは一日で完売だった。
 Twitter効果と秋祭りからの客が流れて来たことが大きかった。
 完売を惜しみ、再入荷を望む声もあったほどだ。世の中、何がうけるかわからない。
 閉店時間を過ぎスタッフが三々五々帰っていく。あずさと瀬尾のところに橋谷がやってきた。
「今日はすみませんでした!」
 腰から大きく体を折って謝る橋谷の顔を上げさせてから、あずさは「お疲れさま。次から気をつけよう」と微笑んだ。
 思いがけないあずさの柔らかな笑顔に顔を赤くした橋谷が帰っていくと、店内にはあずさと瀬尾だけになった。
「お疲れさま。何とかうまくいったな」
「うん……」
「どうした?」
「ねえ、私そんなに侑人にきつい?」
 一瞬目を瞠った侑人だったが、「朝の話聞いてたのか」と目を細めた。
「ぜんぜん。おれはテキパキ仕事するあずさが好きだし、こういう可愛い顔も知ってるし」
「……今日の夕飯シチューがいい。にんじんが星になってるやつ。侑人つくって」
「はいはい」
 笑って侑人はあずさの胸元から『店長・瀬尾あずさ』のネームをはずした。
 あずさはほっと息を吐く。途端に体と心が軽くなる。
 夫に上手に上司の鎧を脱がされ、妻でありただの女性に戻れるこの時間があずさはいちばん好きで、やっぱり侑人には敵わないと思うのだ。


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