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plumさん

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鴻池の猫

17/09/11 コンテスト(テーマ):第142回 時空モノガタリ文学賞 【 上司 】 コメント:0件 plum 閲覧数:84

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 うちのムウは人間の気持ちが分かる。
 彼はほっそりとした白猫で、一見したところでは普通の雑種である。けれどもちょっと他の猫と変わっている点は、左右の眼の色が違っていることで、右眼が青で左眼が金色に見える。その瞳に見つめられると、何だかこちらの眼の焦点が合わなくなり、まるで魔法にでもかけられたような気分になって、今しも心を見透かされていることが分かるのだ。
 そんなことを言うと、どうせ飼い主の思い込みだろうと笑う人があるかもしれない。けれども今からお話しするエピソードを聞けば、きっと誰だって彼に特別な力があることを確信するだろうと思う。
 例えばこないだはこんなことがあった。私は仕事で大きなミスをしてしまい、憔悴し切って家に帰った。夫はいつのもようにまだ帰宅していなかったので、ドアの鍵を開けて玄関に入った。その時である。なんとムウが玄関ホールに座り込んで、こちらをまっすぐ見つめているのだ。
 迎えに来てくれたらしい。彼と一緒に暮らし始めてから一年ほどになるが、そんなことをしてくれたのは初めてだった。私は感激して抱き上げて、その神秘的な眼を覗き込みながら、「ただいま」と話しかけた。すると驚くべきことに、彼も「おかえり」と応えてくれたのだ。
 もちろん言葉を発した訳ではない。けれども普段の鳴き声とは明らかに声色が違っていたから、どう解釈してもそう言っているようにしか聞こえなかったし、その直後に起こった出来事によって、私の推論も裏づけられたのだ。
 ムウは私の頬をざらりと舐めたのだ。するとその時初めて自分の眼から、涙が流れていたことに気づいた。私はいくら悔しくても、仕事の事で泣かない決めていた。そんな頑なな気持ちがムウの優しさに触れて、とうとう氷解したのである。夫ですらも察してくれないような胸の内を、彼だけが全て理解してくれたのだ。
 私は猫を抱きしめたまま、玄関で泣き続けた。しばらくして彼が「そろそろパパが帰ってくるんじゃない?」と言ったので、ようやく夕ご飯の支度にかかる元気が出た。ちょうどムウの食器にも、食べ物と水がなくなっていたので、すぐに補給してあげたのだった。
 完全にご理解頂けたと思う。はたしてこのムウの行動が、私の気持ちを分かってした事でなかったとすれば、他に一体どんな理由があると言うのだろうか。
 他にもこんなことがあった。重要な商談が明日に控えていたので、私はいつものお気に入りの服をクローゼットから出そうとした。するとムウがいきなり服に飛びかかって、爪でひっかいたのである。
 生地は無残に綻んでしまい、修繕はとても間に合わない。私は仕方なくあまり好きではない方を着て商談に挑んだのだけれども、話はとんとん拍子に進み、無事に契約を勝ち取ったのである。後で聞くとその時着ていた服が、先方の趣味とばっちり合っていたらしい。ムウはそれを知っていたのだ。
 ほとんど予知能力である。似たような話は枚挙に暇がない。
 ここまですごい能力を持っているのだから、猫の世界で頭角を現さないはずがない。観察してみるとやはりムウはこのあたり一帯のボスらしい。
 彼がひとたび散歩をすれば、他の猫はおとなしく道を開けているし、見かけない猫が近所をうろついていれば、すぐにひと騒ぎが起こって追い払われる。そうかと思えば慈悲深い事に、やせ細った野良猫が迷い込んできた時は、うちで余分に餌をねだってそれを分け与えているようだった。
 名君と言ってよいだろう。最近も大活躍した事件があった。最近近所に新しい家が建ったのだけれども、そこの主人がかなりの猫嫌いらしく、自分の敷地にはいられるのを殊の外いやがり、様々な対策を施したのだが効果がない。そこでとうとう捕獲用の檻まで設置したらしいのだ。
 それに獲物が入っていたらしい。猫嫌いの主人が自慢げに言いふらしたのだ。捕まったのはまだ子猫のようだったが、野良猫の子供らしく引き取り手もいない。うちもムウを放し飼いにしている手前、公に文句も言えなかった。このまま保健所に連れていかれてしまうのを、苦渋の思いで見過ごすしかないのか。夫と一緒に涙を流しながら、寝つけぬ夜を重ねていたのである。
 そんな寝覚めの悪い朝に、眼の覚めるような知らせが舞い込んだ。猫嫌いの家に昨晩、数匹の猫が大挙して侵入し、その騒ぎに紛れて捕らわれていた子猫が逃げてしまったらしいのだ。思い返せば昨晩は、ムウの姿を家の中で見なかった。
 やはり私の気持ちを察してくれたのだ。
 その数日後、帰宅した夫が、いたく感激したように言った。
「仕事で大口の受注があってさ。そのお客さんがなんとあの猫嫌いの家だよ。猫が絶対に侵入しないセキュリティシステムにしてくれってさ。これも絶対ムウが計算してたことだよなあ」
 それは飼い主の思い込みだろうと思った。


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