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藤光さん

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高坂さん

17/09/10 コンテスト(テーマ):第142回 時空モノガタリ文学賞 【 上司 】 コメント:1件 藤光 閲覧数:118

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 ぼくは何者でもなかった。
 自分の職業に警察官を選んだのも、犯人を捕まえたいとか、町の平和を守りたいとかといった積極的な理由からではなく、単に「ほかになれるものがなかったから」だった。やりたい仕事を見つけることができず、仕方なく警察に就職しただなんて失礼なこと同僚にも話したことはなかった。そのことが一層ぼくの孤独を深めていたのかもしれない。とにかくぼくは鬱屈していた。
 ぼくにとって仕事は、世間体をとり繕い、食っていく収入を得るための手段でしかなかった。事あるごとにぼくは「警察に自分の人生を売って給料をもらってる」と自嘲していた。高坂さんに会うまでは――。
 警察官となって三年目、ぼくは警察署から機動隊へと転属になった。機動隊は治安警備の実働部隊だ。でも、昭和の時代、学生運動が盛んだった頃と違って、デモやストのなくなった現代の日本には「実戦」を経験した機動隊員はいない。デモがないので、もちろん出動命令も下されない。来る日も来る日もヘルメットと防護装備に身を固め、ジュラルミン製の大楯を抱えて訓練と体力錬成に明け暮れる。無用の長物と言っていい存在だ。無用の――ぼくに似合いの仕事に思えた。
 高坂さんはぼくが配属になった部隊の上官――小隊長だった。幹部は強面で親分肌であることが多い機動隊にあって、物静かで飄々とした高坂さんはどこか異質で、隊員の間では「頼りない小隊長」と半ば馬鹿にされていた。
 その日は雨の降る中、田んぼのようになったグラウンドで小隊訓練が行われた。終わった後は頭からつま先まで泥だらけ。シャワーを浴びて後片付けに戻ってみると、外はまだ雨が降っていて、車庫の隅にひとり、泥だらけのまま積み上げられた大楯を拭っている隊員がいた。高坂さんだった。小隊装備の手入れは新入隊員であるぼくの役割だ。小隊長に手伝わせたなどと古参隊員に知られれば大変なことになる。
「ぼくがやりますから」
「ふたりでした方が早く終わるよ」
 あわてて交代しようとしても高坂さんは取り合わなかった。手でぼくを制して大楯を拭い続ける。仕方がないので高坂さんとふたり大楯の手入れを始めた。「おれさ」しばらくすると高坂さんが話し始めた。
「こうして楯の手入れをするの好きなんだよな。楯っておれたちを象徴してるっていうかさ……」
 機動隊員が携行する大楯は、暴徒化した市民による石や空缶、空瓶などの投擲から身の守るための装備だ。身体の半ばを覆う大きな楯は機動隊の象徴だ。
「この楯が守ってるものは、自分の身体なんかじゃねえの。おれたちはこの楯で街の平穏を守ってんの。市民の自由を守ってんの。この国の未来を守ってんの」
 驚いて高坂さんを見ると、脇目も振らずに大楯を拭っている。
「機動隊は軍隊と違って、銃を持たず、楯を持つ部隊だろ。これってとても象徴的だと思う。市民を傷つける存在ではないって。どこまでも市民を守ってゆく部隊なんだって」
「暴徒化したデモ隊が相手でも、ですか」
「デモの参加者だって、市民だよ。おれたちの任務は、暴徒化した市民に制裁を加えることじゃない。過激化したデモの混乱から秩序を取り戻すことさ。デモから社会機能を守ることなんだ」
 高坂さんの言葉に含まれた何かが、ぼくの心の奥の固いものに触れてちんと音を立てた。
「おれはこの楯を誇りに思ってる。だから、いつもきれいしていてあげたいし、手入れすることは苦じゃないんだ」
 高坂さんは手を止めることなく、楯を拭い続けた。一枚一枚慈しむように。
 やがて、泥だらけだった大楯の手入れが終わった。磨き上げられた大楯を見渡して満足そうに高坂さんは頷いた。外は雨が上がり、グラウンドにできたいくつもの水溜りが、雲間から顔を出した太陽を映してきらきらと光っていた。
「お疲れ様でした……。でも、どうして、ぼくにさっき話を?」
「おまえとおれは似てるなと思ったからさ。仕事、楽しくないんだろ」
 はっとして高坂さんを見ると今までに見たことない厳しい表情でぼくを見ていた。
「やりたいことがない? 仕方なくこの仕事をしてる? そんな訳ない。この仕事を選んだのはお前だよ。お前は甘えてるのさ、うまくいかない時の言い訳を探してる。だから自分が選んだ仕事にも夢中になれないんだ。自分が失敗するかもしれないことが恐ろしいんだ」
 すると、高坂さんは表情を緩めた。
「なんてな。今のはおれの話だ。おれはそうだったってだけさ」
 ぽんと、僕の肩を叩いて高坂さんは車庫を後にし、隊舎へ引き上げていった。その隊服の背中には訓練で跳ねた泥染みがいくつもついたままだった。
 その日から、ぼくは訓練が終われば真っ先に大楯の手入れに取り掛かるようになった。ただそうすることにした。そうすれば、
 ――ぼくも何者かになれるかもしれない。


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このストーリーに関するコメント

17/10/24 光石七

遅ればせながら拝読しました。
高坂さんの言葉が素直に心に沁みました。
大盾の手入れを続ける中で、主人公が自分に、自分の仕事に、意味ややりがいをみつけられたらいいですね。
素敵なお話をありがとうございます!

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