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向本果乃子さん

目をとめて読んでいただき嬉しいです。読者としても、自分には書けないジャンル、アイデア、文体がたくさんあって、楽しみながらも勉強させて頂いてます。運営、選考に携わる皆さんにはこのような場を設けて頂き感謝しています。講評はいつも励みになります。読んだ後、読む前にはなかった感情が生まれたり、世界が少し違って見えたり、自分が実はずっと心に持っていた何かに気づかされたり、登場人物のその後を考えてしまったり…そんな小説を書けるようになりたいです。

性別 女性
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とかげ

17/09/08 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:2件 向本果乃子 閲覧数:656

時空モノガタリからの選評

父を追う少女の心の動きが丁寧に描写され、とても繊細に作り込まれた作品だと思います。母よりも十程若く「母より美しくもかっこよくもおしゃれでも」ない女性。父が求めたものはそのような「子供のよう」な頼りなさだという点がなんとも生々しくリアルでした。世間的に見た価値観とは無関係に、妻にないものを求めてしまうところ、多くの人にあるような気がします。都会で違和感を放つとかげは、彼女自身の「生への執着」なのか、父のそれなのか、あるいは両方なのでしょうか。人間の中に潜む原初的な生への渇望とその苦悩を、人工的な街の中で対比させる文学的な比喩表現によって、直接感情を多く語らせることなく、うまくその内面を表現しているなあと思います。純文学的な掌編としてうまくまとめられた作品ではないでしょうか。

時空モノガタリK

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 その年の夏は煮えたぎるように暑かった。息を吸うと湿った空気が喉にべったりとはりつき、汗なのか湿気なのかわからない生ぬるい水滴が身体中を覆った。じっとり湿った大気を突き抜けて届く鋭い太陽の光が、通りを歩く人々にジリジリと容赦のない紫外線を浴びせている。その人々の中に、まだ十五歳の私がいた。
 夏休みの新宿駅南口前、午後2時。暑さもピークだというのに何の用があるのかあふれんばかりの人、人、人。必死で歩いても自分が行きたい方へ進むのが困難なほど、あらゆる角度から人が歩いてくる。肩をぶつけ、足を踏まれ、睨まれ、舌打ちされながら、私はそれでも必死で歩いた。私の目はただ一点、人混みの中でも頭一つ出る背の高い父親の姿を追っていた。父は時々横を見て、その手をつないだ先にいる女性を気遣っているようだった。四十を超えている父や母より十は若く見えるその女性は、しかし母より美しくもかっこよくもおしゃれでもなかった。けれど父の手を必死に握って子供のようについていく姿は母にはないもので、父が求めているのはそれなのだということは子供の私にもわかった。父の右手には大きめのボストンバック。もう帰るつもりがないことはわかっていた。それでも私は来たことのない新宿まで父を追ってきて、改札で待っていたあの女性と一緒に歩き出したのを見ても、まだ尾けることをやめられなかった。何をするつもりだったのかわからない。ただ、そのまますんなりと父を行かせることはできないと思っていた。それでも声をかけられなかったのは、私に父を止める力がないことを心のどこかで知っていたのかもしれない。
 ひたすら歩いて、暑さと人混みに頭痛がして喉が渇きめまいがした。突然、肩をつかまれる。金色に髪を染めて痩せこけて歯がガタガタの二十代くらいの男がにやにやしながら立っていた。黙ってその手を振り払って行こうとすると、男は手に力をこめて「一人でどこ行くの?お金ほしくない?簡単で愉しくお金が稼げる方法あるんだけど」とにやにやしたまま言った。私は男の顔につばを吐いた。「うひょ」みたいなおかしな声をあげ手を離した男を力の限り突き飛ばして走った。男から逃げるように、見失った父親に追いつけるように、 大勢の人をはじきとばしながら必死で走った。その全力疾走で、生きるための全パワーを使い果たしてしまった気がした。
 金髪男は追いかけてなど来なかったけれど、父に追いつくこともできなかった。いや、大通りから入っていった細い脇道で、五十メートルほど先を女と手をつないでゆっくり歩く父の後姿をみつけることはできたのだ。途中からただめちゃくちゃに走っていただけの私が父の背をみつけられたのは、本当に奇跡的な偶然だったと思う。喉からぜえぜえという音が聞こえるほどに息を切らせた私は、立ち止まり叫んだつもりだった。お父さん!と大きな声で。だけど実際は、ただ立ち尽くしていただけだった。喉の奥に何か大きな塊が詰まって私の声は全て封じ込められ、黙って父親の背を見ていることしかできなかった。アスファルトから陽炎がゆらめきたち、父と女の姿はまるで幻みたいで、違う次元の世界へと旅立って行くかのようだった。もう決して私のいるコチラ側の世界に戻って来ることはない。
 そんな父の背を見ながら立ち尽くしていた私の足下に、突然、小さな黒っぽいものがするするっと近づいた。それは、都心にはまったく似つかわしくない、とかげの姿だった。とかげは私の足元でじっとしている。私はその場違いなとかげをじっと見て、ゆっくりと片足をあげた。踏み潰してやる、と渾身の力をこめて勢いよく足を下ろす。ドスンという衝撃が左足首に響き、スニーカーの紐が震えた。こめかみを汗が伝っておちる。前髪が汗でぬれて額にはりついている。スニーカーの下からは、黒に近い灰色をした細く長いとかげのしっぽがのぞいていた。目の前をちょろちょろと右に左に揺れながら、しっぽを切ったとかげが逃げていく。
 その滑稽なまでの生への執着が気持ち悪くて、私は道路の脇にうずくまって吐いた。胃の中に何もなくなるまで吐いた。その苦しさで涙目になった視界に入る自分の吐瀉物をぼんやり眺めてから顔を上げると、今度はチラチラと私を見ながらも通り過ぎてゆく大人たちが視界に入った。
 急に何もかもおかしくなって笑いがこみ上げてきた。とかげのしっぽを摘まみ上げる。しっぽはまだぴくぴくと動いていた。さっきまでその生への執着心が気持ち悪くて嘔吐していたのに、なぜか今では何があっても生きてやろうと思っていた。自分が吐いた汚物の前で、どんなに無様でも生き抜いてやるから見ていろよと、誰に約束するでもないが、ただ自分の親指と人差し指につままれてぶら下がる、しなびた野菜の切れ端に見えなくもないとかげのしっぽに、十五歳の私は誓った。(了)


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このストーリーに関するコメント

17/10/24 光石七

入賞おめでとうございます!
拝読しました。
行間から主人公の繊細な心情が滲み出ていて、丁寧な情景描写と相まって、胸に響くものがありました。
とかげの存在も象徴的で、ラストは秀逸ですね。
受賞にふさわしい、素晴らしい純文学作品でした!

17/10/25 向本果乃子

光石七様

とても丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。コメントすごく嬉しいです。
頂いた言葉を励みに書いていきたいと思います。
ありがとうございました!

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