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川淵 紀和さん

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火消し屋

17/09/08 コンテスト(テーマ):第142回 時空モノガタリ文学賞 【 上司 】 コメント:2件 川淵 紀和 閲覧数:215

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 昼の屋上で携帯を見ている人は多いが、彼女はスマートフォンではないからその姿勢から一目でわかった。彼女はいつもイヤホンをしてベンチに腰かけている。煙草の似合う女だった。やや縦にして指の間に煙草を挟み小首をかしげ、眉間にしわを寄せて、携帯の画面を見やる。
 いつも長い文章を読んでいるようで、同じ個所を二三回押しては親指がしばらく止まる。何かを伝えまいと、彼女の親指がせわしなく動くのを私は見たことがなかった。もっぱら、スクロールばかりのようで、向こう側の相手との距離を感じた。一方的な傍観者のように、顔見知りだったとしてもわざと相手に近づこうとしないのかもしれない。
 冷めた眼差しでまつげが長いんだなあと感じさせるほどに下を向き、彼女はいつも、ひとしきり携帯の小さな画面を眺める。眺めては、目頭に溜まった疲労を指先で抑え、身体に溜まった鬱積を吐き捨てるように空を仰いでため息をつくのだった。

 「いいよ、気にしないで」
 それは、彼女の口癖だ。デスクで頭を抱える彼女を他所に、武田はそれに安堵して、頭を下げて自分の席に戻る。隣にいてつくづく背筋が寒くなる。新人の尻拭いが自分にまわってくるから、という分かりやすい落胆ではなく、最初からあてにされていない上に、謝罪さえ遮られていることが、他人事とはいえ堪えるからだ。
 女上司も、不安になるといつも彼女は喚く女子社員だった。子供のバイオリン練習みたいにいびつで悲惨なその声色を聞きたくなかった。
入社当時からずっと傍で見つめてきた私は彼女の便利な火消し屋だった。参謀といってくれる人たちがどんどん辞めていき、昇進していく彼女と私は、その振る舞いに大きな違いが出た。彼女はいつの間にか年齢を重ねるごとに、声が低くなり、常に疲弊したベンチャー企業の総務部長に育っていた。平らな道を行く私は何も変わらない。
「あなたはすごいわ。これからこの問題を解決するんですもの」と眼鏡の奥の瞳が黒々と私を見つめる。
「頼りにしている」と彼女は言った。
 彼女の期待が一滴、一滴と内臓に落ちて、いつも気づけば穴をあけていた。けれど、いつも気づけば穴はふさがるのだった。だから私はその度に捻るように息む。今だけだ、今だけだと。
 苦虫を噛む私の異変に気付いた彼女が立ち上がり、屋上へと誘い、煙草を勧めた。

 自販機でリンゴジュースと缶コーヒーを買い、人のいない屋上に並んで灰皿の前に立つ。季節の変わり目を思わせる冷たい風が真横を過ぎ、彼女の髪を弄んだ。前から綺麗な横顔をしていた。小柄で丸顔、太っている訳ではないが、年齢の割には擦れた肉感のそそる唇をツンと尖らせている。肌の色素とほとんど同じベージュ色の唇は厚ぼったく、頬の下には小さなほくろがある。その気もないのにさそってくるのが、苛立たしかった。
 そんな女の唇が、ともすれば高校生が飲むような牛乳パックから伸びるストローを食む。すれっからしの風体に滲む不自然な幼さが、限りない可能性のように私の前で瞬いてみせた。ここまでの道のりと、これからの道のりを想像させるには充分な美しさだった。
「もう、大丈夫ですよ」
 ああ、私は彼女を娘のように思っているのかもしれない。私は思わず彼女から煙草を取り上げて、くすぶる火種を荒々しくもみ消すのだった。


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このストーリーに関するコメント

17/09/09 トツナン

拝読しました。
傍観者とも観察者ともとれる語り部の「私」が、一歩踏み込んで「彼女」に接触したラストがさらなる物語を予感させました。最終段落の描写が丁寧でしたので、前段・中段も是非読みこなしたいと感じました。

17/09/14 川淵 紀和

トツナンさん

コメントをありがとうございます。
まだまだ洗練されていない拙作ではありますが、「ぜひ読みこなしたい」と言って頂けて嬉しいです。彼女を見つめる描写が、翻して主人公の心模様を表しているようにしたかったのですが、前段・中断には課題が多そうです。

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