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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書くことの勉強をしています。

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完璧な上司

17/09/02 コンテスト(テーマ):第142回 時空モノガタリ文学賞 【 上司 】 コメント:2件 野々小花 閲覧数:222

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 高野課長はいつもヒールの高い靴を履いている。歩いても嫌な音がしないのはどうしてだろう。ゆっくりと歩くからかもしれない。私は履いたことがないからわからないけれど、上等な靴というのは、そういうものなのかもしれない。品の良いスーツが似合っている。毎日ヘアメイクもしっかりとしている。
 私とは、何もかもが違う。入社してから二年、ずっと無難な服を着まわしている。髪はひとつにまとめただけ。メイクはいつも最低限だ。地味な事務員だという自覚がある。
 だから、なんとなく、高野課長の前では緊張する。
「あの、資料、できました」
 きちんと目を見て話すことができない。おどおどしながら、頼まれていたものを渡す。
「ありがとう。毎回、とても丁寧で助かります。少し、休憩してくださいね」
 高野課長は優しい。私に対しても、誰に対しても。いつも笑顔を絶やさない。仕事をこなすのはとても早いのに、どこかゆったりとした空気をまとっている。ちらりと視線をあげると、ふわりと笑ってくれた。
 あんな風になれたら、と笑うことが苦手な私は、自分の席に戻って思う。パソコンの後ろにある小さな鏡に向かって、にこりと笑いかけてみる。口元は笑っているけれど目が笑っていない。誰にも気づかれないように、私はそっとため息をついた。 

 昼休みから戻ると、部署内は騒ぎになっていた。営業部へ渡すはずの入力済みデータがどこにもないという。急を要するらしく、営業部長が、かなりの勢いでまくし立てている。高野課長は、一切言い訳をせずに頭を下げていた。
「女の課長だからこんなことになるんだ! まったく、この部署は役に立たない奴ばかりだ」
 営業部長が吐き捨てるように言う。
「部下のことは、悪く言わないでください」
 高野課長は、鼻をすすり、涙目で訴えている。
「な、泣けばいいてもんじゃないぞ!」
 少し怯んだ様子で、それでも語気は強いままだ。
 データが見つかったとわかったのは、そのすぐ後だった。営業部の社員が、勝手にパソコンを操作して持ち出していたらしい。決まりの悪そうな顔をする営業部長を、高野課長が責めることはなかった。

 あれ以来、営業部が大きな顔をしてくることはない。
 雑用や無理な仕事を押し付けられることもなくなった。よほどバツが悪いのだろう。高野課長のおかげだ。
「仕事がやりやすくなって良かったね」
 隣の席の同僚が、やれやれといった感じで言う。
「女の涙って、強いよね。男には」
「そうですね」
 頷きながら、みんな同じように感じているのだなと思う。
 もしかして、あの涙は、演技だったのではないだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎる。まさかと思う。でも、営業部への牽制になった。自分たちを守ってくれた高野課長への信頼は、以前にも増して厚くなった。
 いや、考えすぎだ。仕事に集中しよう。私は大きく深呼吸をして、パソコンの画面に意識を戻した。

 仕事の帰りに用事があって、その日は、いつもと違う電車に乗った。駅に降りると、高野課長を見かけた。声をかけようとしたけれど、追いつかない。歩くスピードが速いのだ。カツン、カツン、とヒールの甲高い、とても嫌な音がする。
 高野課長の、いつも綺麗に結われている髪はほどかれている。長い髪を、ぞんざいな手つきでかき上げている。
 改札を出たところで、制服を着た少女とぶつかったのが見えた。
「すみません!」
 よろけながら謝罪する少女に、高野課長は「いえ」と小さく返事をする。少女が落としたスマートフォンを一瞥して、拾うそぶりもないまま、無表情で歩き出した。
 私はそれを、少し離れたところから見ていた。高野課長の背中が遠くなって、見えなくなっても、私はしばらくその場所にいた。
 私が知っている高野課長は、本当の高野課長ではなかった。
 歩くスピードの速い女が、本当は優しくもない無愛想な女が、高野課長というものを完璧に演じていただけだった。
 何もかもが違うと思っていた、手が届かないと思っていたひとが、急に自分の近くに落ちてきた感じがした。高野課長は、自分と同じ、ただの人間だった。
 良い部下になろう。唐突に、そう強く思った。高野課長が完璧な上司なら、私は、その完璧な上司のために、完璧な部下になろう。
 ヒールのない履き慣れた靴で、私はゆっくりと歩き出した。



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このストーリーに関するコメント

17/09/05 トツナン

拝読しました。
徹底した仕事モードと、その仮面の下の日常性。本性、というのとはまた違う人間の二面性が興味深かったです。もしかしたら、主人公「私」が見かけた高野課長もまた、多面性の一面でしかないのかも知れず、だからこそ「あんな風になれたら」という曖昧な憧れから、「良い部下になろう」という冷静さというかシンプルさがとても好きです。

17/09/06 野々小花

トツナン様

読んでいただきありがとうございます。
拙いところを上手に読み取っていただき感謝です。
とても嬉しかったです。コメントありがとうございました。

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