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田中あららさん

性別 女性
将来の夢
座右の銘 仏ほっとけ、神かまうな

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特定保健指導

17/09/01 コンテスト(テーマ):第142回 時空モノガタリ文学賞 【 上司 】 コメント:2件 田中あらら 閲覧数:147

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百合子の今日の訪問先は、親しい先輩のいる中堅医薬品会社の本社だった。先輩とはウマが合い、卒業後も気楽な付き合いをしている。
 彼女は特定保健指導の相談員だ。特定保健指導は、健康診断でメタボリックシンドロームと判断された人が対象となり、任意で行われる。相談員は、特定保健指導を請け負う会社に所属する保健師、看護師、管理栄養士などである。
 百合子は管理栄養士だ。肥満を解消することで、検査値が改善されることから、クライアントに対して主にダイエット指導をしている。面接はプライバシーが尊重されるため、個室で行われる。
 
 人が近づいてくる気配がし、百合子はドアの前で出迎えた。ヒールのあるパンプスを履いた百合子と同じ高さほどの小柄でぽっちゃりとした男性と目線があった。
「なんだよー。相談員というのは、お前かよ」先輩は心底驚き、声をあげた。
「はい、御愁傷様。やっぱり先輩だったのね」
「人が悪いなあ。メールで知らせてくれよぉ、そういう場合は」
「公私混同は禁物です。で、知らせたらどうしたの」
「欠席した」
「でしょうね。さて、時間が限られているから始めましょうか」
「しょうがねえなあ」
「では、面接に先立って、プライバシー保護についてと特別保健指導の目的を説明しますので、そのあと同意書にサインをお願いします」
「紋切り型だな」
「悪かったわね」百合子は笑って切り捨てた。

 百合子が先輩の健康診断結果を見ながら、潜在的な病気へのリスクを関連づけて説明していると、殊勝にも先輩はおとなしく、普段の乱暴に聞こえるような江戸っ子の気っぷのいい喋りとうらはらに、真面目に話を聞いた。
「さて、運動と食事改善が効果的だと理解してくれたところで、体重をとりあえず半年で3kg減らすための目標を設定してください」
「半年間、続けてやれることは何もない」先輩は胸を張った。
「きっぱり言い過ぎ」
「だってよ、習慣を変えるんだぜ。運動する時間はないだろ。缶コーヒーやめろって?あれは俺の癒しなんだよ。ご飯を半分に減らせって?飯ほどうまいものはないだろ。お菓子をやめろって?そりゃ、お菓子に未練はないさ。でも社内でくれるものを断るのは角が立つだろ」
「立ちません」
「いやいやそうはいかないんだよ」
「では営業部長として、あなたならどうアドバイスします?」百合子が逆に聞いてみると、金縁メガネの奥の目がキラリと光った。
「お前さあ、俺は化学畑を卒業した薬屋だぜ。基本的な体のメカニズムぐらい知ってるさ」
「そうよね。私より詳しいかも。だからって、メタボじゃしょうがないじゃない」
「はっきり言ってくれるじゃないの」
「失言しました。私情が入りました」
「私情は歓迎。ただ、データをつきつけて、ではどうします?とか聞いて、本人に決めさせて、まるで自主的に決めたような気にさせるんだろ。まるでタチの悪い営業だ」
「失礼な。押し付けられたことはできないでしょ。自分で決めなきゃ」
「違うね。俺は営業部長だよ。しかも薬品会社の。いわゆる健康産業にいて、自分が不健康になることは負い目だよ。開き直るって手もあるけど。まあ考えてみたら、会社はいずれ退職するけどな。それでも健康でいたいと思うのは当たり前のことだろ」
「ふむふむ」
「言いたいことはこうだ。今、俺は会社では上司で、部下を指導する立場だ。それにあらゆる案件を処理するので手一杯ってことだ」
「だから?」
「つまり、俺は非常に忙しくて、自分のことをかまっている暇がない。気にかけるような頭の使い方をしていないってこと」
「なるほど」
「世の中の管理職というものは、似たり寄ったりだと思うぜ。みんな自分のことをかまっている暇はない。それに営業職だと、接待で外食も多い」
「言い訳ね」
「言い訳じゃなくて、事実を言ってるの。いいことを教えてやるよ。そういう立場の人間を相手にするときには、ただ指示すればいい。指示することに慣れている奴らは、指示されることが珍しいから、案外言うことを聞くもんだぜ。威厳を持った相手や専門家には弱いんだから。人にも指導されたからって言えるだろ」
「ほう」
「ただヒラには通用しねえぞ。ヒラには、自分で考えて行動することが幸せだと思わせておけ」
先輩は楽しそうに、ヘラヘラ笑った。
「では、お菓子をやめましょう」百合子は間髪を入れずに言った。
笑い顔が凍りついた先輩は「はい」と力なく頷いた。
「駅では階段を使うこと」
「…」
「では、この行動目標設定のところに、記入してください」
従順に従う先輩を見て、百合子はつぶやいた。
「真理だったのね」
「やられたよ。夕方、コーヒー飲む時間ある?」
「オッケー」
 百合子はこんな上司なら部下もやりやすいだろうと、笑いをかみ殺した。


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このストーリーに関するコメント

17/09/05 トツナン

拝読しました。
説明させ、検討し、決定して、指示をする。その上、御作の「先輩」は部下の指導までこなす。多くのストレスを抱える上司が指示に対して『案外言うことを聞くもんだぜ』というのは、実際そうなのかもしれませんね。とはいえ、『自分のことをかまっている暇がない』と割り切って己の健康管理を誰かに委ねるというのは、どこか悲哀を感ぜざるを得ません。「江戸っ子」気質の先輩の演説にも傾聴する主人公がプロたらんとする姿勢に好感が持てました。

17/09/06 田中あらら

トツナン様
拙文を読んでくださり、ありがとうございました。会社の上下関係に縁の薄い生活をしてきたので、社内の出来事をリアルに書くのは難しく、以前友人がもらした言葉を思い出し、書いてみました。貴重なコメントをいただき、嬉しかったです。

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