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吉岡 幸一さん

性別 男性
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和子と傘の人

17/08/30 コンテスト(テーマ):第113回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:395

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 竹の骨組みに赤い油紙を貼った番傘を男はさしていた。男は「傘の人」と呼ばれ、雨の日だけでなく、晴れている日も、雪の日も、嵐の日も関係なく朝から日没までの時間傘をさし続けていた。
 傘の人がバス停の横に立つようになったのは一年前だっただろうか。派手な傘をずっとさしているわりには大人しい男で、バスに乗るわけでもなく、ただ一日中バス停の横に立っているだけだった。スーツを着ていたので遠目には会社員のようであったが、一日中立っているところをみると仕事はしていないのかもしれない。
 傘をさし続けていることに害はない。社会に迷惑をかけているわけでも、誰かを傷つけているわけでもない。傘の人に好奇の目を向ける人はいても、警戒してか話しかけて理由を聞こうとする人はいなかった。
 和子はバス停の前に建つ古い雑居ビルの一階で小さなサンドイッチ屋を営んでいて、一日中店の前を通る人やバスに乗る人降りる人を眺めていた。都心からは離れていたのでさほど人通りは多くはなく、バス停を利用する顔ぶれはいつも同じだった。
 和子も気になってはいたが傘の人に関わろうとは思っていなかった。しかし傘の人の方から和子に近づいてきた。サンドイッチを買う客として朝に夕に店に訪れ、差しさわりのない話をするようになっていった。どうやら一度食べてとても気に入ったようで、サンドイッチを買った後は、傘をさしたままバス停の横で美味しそうに食べていた。
 傘の人が店に来るようになると、今まで無視をしていたような人が傘の人のことを和子に小声で尋ねるようになってきた。どうして傘の人はずっと傘をさし続けているのか。どんな話をするのか。危険な人物ではないのか。和子はそんなことを聞かれる度にイライラして「直接本人に聞けばいいじゃないの」と怒鳴りサンドイッチを買う客を減らしていった。
 今朝も傘の人はサンドイッチを買いに来た。よく晴れた朝で春らしく日の光りも柔らかだったが、傘の人はいつもと同じように番傘をさしていた。硝子ケースを指さして卵サンドをひとつ買った。
 傘の人が小銭を和子に渡したそのとき、店の入っているビルの外壁が剥がれ上からボロボロと落ちてきた。粉塵と共に小石くらいの大きさのコンクリートの破片が傘の人の番傘を直撃した。傘は沈み込み、破れた。
「傘が、かさが」と、傘の人は叫びながら破れた傘をさしたまま来た道を走っていった。
 慌てて店を飛び出した和子は走っていく傘の人を黙ってみつめた。どうやら怪我はしなかったようだ。ビルを見上げると一番上の壁がわずかに剥がれているだけだった。もう壁は落ちてはこなかった。
 剥がれ落ちた壁の応急処理が済むとすぐに店は再開された。いつもバス停でバス待ちをしている人や見知らぬ人がやって来ては、サンドイッチを買うこともせず適当なことを言っていった。
「壁が壊れたおかげで傘の人が来なくなってよかったわね」と言う人もいれば「あんな人が近くにいると気持ち悪いからあなたが追い払ってくれたのでしょう」と勘違いも甚だしい感謝を示してくれる人もいた。
 だれもが傘の人の姿が見られなくなったことを喜んでいるのが腹立たしく、和子はそういったことを言われる度に「あんたが落ちてきた壁の下敷きになればよかったのにね」などと言って相手を怒らせていた。
 いつしかサンドイッチ屋に客は来なくなり、店主は変わり者で関わるとろくなことがないと評判が立っていった。和子は客を呼ぶために愛想よくすることができなかったし、するつもりもなかったので、作ったサンドイッチは廃棄されるばかりになり経営は傾いた。
 サンドイッチ屋を閉めた和子は廃棄処分の心配のない傘屋を代わりに開いた。急な雨の日以外は滅多に傘が売れることはなかったが、もうすぐ年金受給者になる和子はそれでも良かった。店先で一日のんびりと外を眺めて過ごすことができるのなら言うことはなかった。
 あるよく晴れた朝、前触れもなく傘の人がやってきた。真新しいが相変わらず赤い油紙を貼った番傘をさしていた。傘を上にあげビルの壁を確かめると安心したように頷いた。
「サンドイッチはもう売っていないのですか」
 和子の目を食い入るように見つめながら傘の人は聞いてきた。
「ええ、今は傘屋なんですよ。代わりに素敵な傘がたくさんありますよ」
 そう答えると、傘の人はひどく残念そうに首を振って店を後にした。バス停の前に立つこともなくそのまま通り過ぎていった。
 傘の人はその後現れることはなかった。


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