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葉山恵一さん

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夏の隙間

17/08/28 コンテスト(テーマ):第141回 時空モノガタリ文学賞 【 黒板 】 コメント:0件 葉山恵一 閲覧数:269

時空モノガタリからの選評

「画家の卵」のように二人きりで黒板に絵を描く女の子と僕。教室に漂う、緩やかでちょっぴり寂しげな空気感と、子供時代特有の感受性が、説明的ではなく伝わってきました。文学的な比喩表現や対比が巧みに用いられ、登場人物の心理やその場の情景が丁寧に描かれており、さりげなくも緻密に構成された良作ではないかと感じます。
印象的だった点の一つは、蝉の描写ですね。夏の終わりの季節感と過ぎ去る時間の流れ、子供時代の短さ、儚さなどが伝わりますし、死んだ蝉を「腹を冷やす」と誤解をするのも子供らしくユーモラスでした。中でも印象的だったのは、少女の歯が抜けるエピソードですね。これは象徴的に「僕」の欠落感を表しているのでしょう。これが新たな別の歯に生え変わる過程にすぎないのと同様、二人のささやかな空間に起こる変化も、彼らが少し大人に近づく一つの段階にすぎず、哀しい出来事と捉えるべきではないのでしょう。その他にも、夕日に染まる「赤と黒のランドセル」の映像的な美しさも良いですし、会話が最小限なのにもかかわらず、左右に分割された黒板に描かれる絵と相手のスペースに侵食していくやりとりから、二人の性格と関係性が伝わってくるところが巧みだなあ思います。タイトルも内容と合っていますね。2000字という長さに過不足ない内容だったのも良かったのかもしれませんね。 

時空モノガタリK

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小学校にあがってすぐの頃、僕とクラスのある女の子は画家の卵だった。授業が終わると教室に二人残り、黒板をキャンバスにして過ごしていた。性格も嗜好も正反対だったが、ともに母子家庭で放課後を持て余しているということが僕たちを結びつけていた。誰もいない教室での落書きはそんな僕たちのささやかな暇つぶしだった。担任教師も家庭の事情を知っていて特に文句も言わなかった。
その日も放課後の教室には僕と女の子の小さな影があった。沈みかかった太陽が窓からそっと入り込み、床に投げ捨てられた黒と赤のランドセルは夕日の色に染まっていた。僕たちはチョークで小さな手を粉だらけにしながら思い思いに黒板を埋めていた。右半分が僕のキャンバスで左半分が女の子のものだった。二人とも手が届かず、白く染められた黒板も上のほうは手付かずのまま残っていた。
僕は勢いよくチョークを黒板にこすりつけた。白線の重なりはやがてアニメのヒーローやその行く手を阻む怪物たちへと姿を変えていった。教室全体を揺らす蝉の声が彼らの戦いを盛り上げる主題歌のように響いていた。女の子はお姫様やお城の絵を描いていた。大きなお姫様と小さなお姫様の二人は女の子とその母親だった。お城の周りにはヒトデのように角が丸まった星が煌き、虹が架かっていた。女の子は白の濃淡だけで器用に七色を描き分けていた。
「今日はこれから雨が降るよ」
女の子は窓の外を見ながら言った。
「なんで」
「学校来る途中で蝉がいっぱいひっくり返ってたから。いつも暑いから雨でお腹を冷やすんだって」
「そんなのうそだよ。地面に落ちてるのは死んでるやつだよ」
僕は会話に引っ張られるように腹を上に向けた蝉の絵をお姫様の上に描いた。すると女の子は仕返しに僕のキャンバスに王冠をつけた妖精や笑顔のリスなど付け加えた。怪物の周りを平和な線で彩られた僕の絵はたちまち迫力のない間の抜けたものになってしまった。黒板の前で繰り広げられる僕たちの時間は淀みなく過ぎていった。
一学期の終わりの日、通信簿をもらった生徒たちは教室を忙しく駆け回り、二重丸の数を競っていた。
「夏休みも健康に気をつけて過ごしてね。ちゃんと宿題も忘れないように」
教師の締めくくりの言葉を合図に生徒たちは今までで一番の笑顔を見せながら教室をあとにした。
いつもどおりの教室に僕と女の子は残された。始業式までの四十日弱のあいだは黒板ともお別れだと僕の手にも一層力が入った。最後の力作を仕上げるためチョークと黒板消しを両手に僕は空想の世界を繰り広げていった。
怪物の幾重にも重なった鱗の最後の一枚を僕が描いていると女の子がふいに口を開いた。
「きのう歯が抜けたの」
女の子は嬉しそうに口を広げてみせた。ご飯粒のような歯の並びにひとつだけ空洞ができている。それは僕に何か不思議な感じを起こさせた。
「僕ももうすぐだよ」
そう言って僕は舌で歯をくすぐってみたがまるで抜ける気配はなかった。僕は歯の抜けたお姫様の絵でも描いてやろうと女の子の絵に近づいていった。するとキャンバスの上に見慣れない人物がいることに気づいた。それは二人のお姫様に寄り添う少し背の高い王子様だった。
「これお父さんなんだ」
僕の視線に気づくと女の子はチョークを置いて言った。
「夏休みにお母さんが結婚して新しいお父さんがくるんだ。そうしたらお母さんずっと家にいられるんだ。休みの日は三人でお出かけできるんだ」
女の子は期待に胸をはずませながら早口で言った。そしてこう付け加えた。
「今度から左っかわまでたくさんお絵書きできるね」
僕に向けられた透き通った眼差しは画家としての幕引きを物語っていた。

夏休みが明けると暑さも衰えを見せ始めていた。皆が教室から出ていくと僕はチョークを手に黒板の前に立った。床に赤いランドセルはなかった。
指先でつままなければ持てないくらいに短くなったチョークが何だか女の子の歯のように見えた。そして歯の抜けた部分の深い暗闇が大きな黒板となって目の前に広がっているようだった。
いつものヒーローも怪物も僕の前には現れなかった。キャンバスをいくら睨みつけても描くべきテーマが見つからない老いぼれた画家のように手が動かなかった。
今日は蝉の声が途切れとぎれに聞こえてくる。みんなお腹を冷やしているうちに気づいたら一週間経ってしまったのだろうか。僕はそんなことを考えながら舌の先で上の歯をこすってみた。歯茎にしっかりと刺さった歯は心持ち小さく動いたような気がした。
僕はちびたチョークを新品のものに持ちかえると、暗闇を埋めるように黒板を白く塗りつぶしていった。


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