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沓屋南実さん

音楽、表社会系、詩、エッセイなど書いております。 よろしく、お願いします。

性別 女性
将来の夢 小説家。 音楽を聴きながら、一日中本を読んで、小説を書く生活。 行きつけの音楽カフェで、皆とおしゃべりすること。
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解けなかった数式

17/08/28 コンテスト(テーマ):第141回 時空モノガタリ文学賞 【 黒板 】 コメント:0件 沓屋南実 閲覧数:110

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 品の井駅に続く家々が並ぶ道を智之は友だちとのんびり歩いていた。叔母から頼まれて、畑に花を摘みに行くところだった。
 飛行機が向かってくる、低い音が耳に届いた。ふたりは、足を止め空を見上げた。何機か旋回しているのは、味方ではないことに気が付いた。
 なぜこんな田舎に? 智之がそう思ったとき、駅の方向に爆弾が落ち、火と煙が上がっていた。
 友だちは、駆け出していた。智之も駆け出そうとしたが、足がもつれて転んだ。
 低空を保って旋回する機体が、いよいよ間近になったとき、智之は米兵パイロットの姿を認めた。パイロットの顔は、こちらを向いており、目が合ったような気がした。皆が言うような赤ら顔の鬼ではない、普通の人間だった。
 智之は、立ち上がり、逃げようとした。しかし、強烈な爆風に飛ばされた。立ち上る煙と白い旋光に覆われ体が宙を舞ったとき、黒板に白いチョークの数式が頭の中をよぎった。
  
               4x−8(y+5)=9(2x−3)+3y=12  

*  


 智之が妹・花と名古屋から長野に疎開したのは、この一年前、昭和19年の夏だった。家が軍需工場に近くにあり、近所の子どもたちは次々と親戚を頼って田舎に移っていった。
 長野は、両親の出身地だ。母の妹である叔母の家は広いのに、叔父が出征したのでなおさらだった。
 智之と花は、戦時下にあって比較的恵まれた暮らしができた。叔母の家からそれぞれ別な学校に通った。
 両親から家の手伝いをして勉強もちゃんとやるようにという言いつけを、まじめな智之はよく守った。活発で朗らかだったはずの花は、だんだん元気をなくしていくのが心配だった。叔母は責任を感じていたが、両親から離れたためだろうと、しばらく様子をみることにした。
 智之は、爆撃の続く街にいる両親も心配だった。酷くなる一方で、いつ終わるともしれない戦争。しかし、新聞は相変わらず調子の良い言葉が並べていた。誰もが現実と報道の差が広がることを、感じていた。
 両親への手紙には、嘘を書いた。妹も自分も元気だと。心配させたくなかった。

 昭和20年に入って、学校の授業は行われなくなった。
 最後の授業は数学。智之はあてられて問題を解くべく黒板に向かったが、数字が数字に見えなかった。
 他事を考えていたからだ。父さんや母さんは今頃どうしているだろう、心は250キロほど飛んでいた。
 授業時間の終了に助けられ、「では次回にやっておもらう」と先生が言い、ほっとした。
 家に帰って解けば、簡単だった。それだけに悔しかった。
 しかし、「次回」は来なかった。校庭は芋畑になり、毎日農作業に明け暮れた。
 花はずっと学校を休んでいた。少し具合が良くなってきたとき、堰を切ったようにしゃべりだした。それで、ようやく本当の理由がわかった。
「兄ちゃん、あたしいじめられたの。早くお家に帰りたい」
「誰だ、そんなことする奴は」
「口にも出したくない。あたしが可愛い髪飾りをしていったら、非国民だって。お母さんにもらった大事な髪飾り。あれ取られちゃったの」
「おまえ、何で黙っていたんだ」
「だけど、髪飾りを取った子は、可愛そうなの。お父さんが死んじゃったの。大きいお兄ちゃんも危ないところに行っちゃったの」
 言いたいだけ言うと、わあわあ泣き出した。
 智之は「よしよし」と言いながら、妹の頭をなでてやった。ひとり小さな胸にため込んで、可愛そうに。妹は10歳になったばかり。たったふたつ上の兄は、それでも兄らしく慰めようと一生懸命だった。
 智之は、頭の中で問い続けた。父さん母さんといつになったら、一緒に暮らせるのだろう。どうして、こんな生活が続くのだろう。父さんはしばらくの我慢だと言っていたのに。
 数学のように、答えが出る問いでないのはなぜなのだろう。

 昭和20年8月13日。智之は、米兵をはじめて目にした。それも敵機に乗ったパイロットの。


 *


 智之は叔母の家に運ばれ、布団に寝かされていた。
 目覚めて最初に目に入ったのは、妹の顔だ。
「兄ちゃん、兄ちゃん」
 花の大きな声が、頭に響いた。
「智之が目を覚ました!」
 叔母のほっとした顔。
 智之は、ふたりの様子から大したことがないとわかった。あの米兵は、自分を狙わなかったのだと確信した。
「良かった、あの問題の解答まだだったから」
「何それお兄ちゃん」
「うん、気を失う直前に、解きかけの数式が浮かんだんだ」
「へんなの」
 そう言いながら、妹は笑った。
 

 *
 

 終戦のたった2日前、昭和20年8月13日の長野空襲で47人の尊い命が散った。
 智之がその事実を知ったのは、だいぶ後のことである。


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