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若早称平さん

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性別 男性
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あなたと食べたいチェリーパイ

17/08/28 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:0件 若早称平 閲覧数:429

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 玄関から話し声がする。彼が家に人を連れてくるなんて珍しいどころか、おそらく初めてのことだった。
「大丈夫ですか? 白石さん」
 白石さん、と呼ばれた彼より十くらい歳上のスーツ姿の男は酒に酔っているらしく、おぼつかない足取りでトイレに向かった。乱暴にドアを閉める。残された彼はいつも通りリビングの電気をつけて「ただいま」と呟き、まるで見えているかのように私の正面に座った。
 おかえりなさい、と私も彼には届かない挨拶をする。目が合っているように思うのはただの錯覚だ。その証拠に彼はすぐに立ち上がり台所へ向かう。冷蔵庫の中を確認すると缶ビールを二本取り出してきた。
 トイレから白石さんが出てきた。先程は粗暴な印象を受けたが、トイレに行きたくて慌てていたのだろう。「悪い悪い」と両手を合わせながら子供のように笑い、彼から受け取った缶ビールを開けて私の隣に座った。

 二人は暫くの間たわいない話をしていたが、わずかな沈黙をきっかけにして白石さんが「ところで例の話はどうなんだ?」と言い出した。「例の、霊の話は?」二人とも真顔のままだということは単なるダジャレで言ったのではないのだろう。ということは、と私は察する。私は席を立ち台所の蛇口をひねった。突然の出来事に二人の視線が台所に向けられる。立て続けに冷蔵庫を開け、電子レンジのスイッチを入れる。彼にとってはよくある現象でも、興味本位でここへ来た白石さんを満足させるには充分だろう。
「これは本物なのか?」
 白石さんが真っ青な顔で尋ねる。「はい、亡くなった彼女の霊だと思います」そう答えながら彼は蛇口を閉め、冷蔵庫を閉め、電子レンジを止めた。
「彼女は三年前の僕の誕生日に事故で亡くなりました。付き合い始めてから毎年僕の誕生日にはパイを焼いていたんです」
「パイ? ケーキじゃなくて?」
「アップルパイとかチョコレートパイとか毎年違うものを」彼は懐かしそうに笑った。
「あの日僕が家に帰ると作りかけのチェリーパイがあったんです。多分それを作りきれなかったことか、一緒に食べれなかったことが未練になって今も台所にいるんだと思います」
 白石さんはすっかり酔いがさめてしまった様子で席を立った。帰り支度をしながら「無理矢理押し掛けて悪かった」と、彼と台所に頭を下げた。
 玄関で見送られながら「お前、取り憑かれたりってことはないのか?」私に聞かれるのを心配してか、小声で彼に尋ねる。彼は「多分。悪霊ではないので」と笑って答えた。

 白石さんが帰ると彼は真っ直ぐに台所へ向かった。彼の考えは半分正解で半分外れだ。なぜか触れられるものがこの家の台所にあるものだけなのであって、私はいつも台所にいるわけではない。今もリビングの自分の席から台所でチェリーパイを作る彼を頬杖をつきながら見ている。もう一つ違うのは私の未練だ。

「約束とパイの皮は破られるためにある」というどこかの国のことわざを平気で公言するほど彼はよく約束を破る男だった。遅刻やドタキャンは日常茶飯事、禁煙すると何度言っても私に隠れて吸っていたし、トイレの便座もいつも上げたままだった。彼が約束を破る度に私達は喧嘩をしたが、それで彼が心を入れ替えることはなかった。誕生日にパイを焼くようにしたのはそんな彼の座右の銘への皮肉を込めてのことだ。
 あの日、駅まで彼を迎えに行こうとした私はその道すがらで事故にあった。病室でわずかな時間だけ意識を取り戻すと、泣きそうな彼の顔が微かに見えた。体を動かすことができなかった私は泣きながら私の名前を叫ぶ彼の涙を拭いてあげることもできなかった。
「……私のこと……」
 自分の死を悟った私は最後の力を振り絞って彼に言った。声になっていたのかは分からないが彼が頷いたのでおそらく伝わったのだろうと思っていた。

 彼が焼きたてのチェリーパイをテーブルに運んでくる。この三年で店を出せるんじゃないかというくらいに腕前が上達している。もちろん食べたことはないので見た目だけに限っての話だが。
「ねえ、どうして?」
 パイを切り分ける彼に何百回目かの質問をする。
「どうして『私のこと忘れないで』っていう最後の約束だけ破ってくれないの?」
 彼がそれに答えてくれないことは分かっていた。目の前に差し出されたチェリーパイに手を伸ばすが、やはり今日もそれに触れることは叶わなかった。


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