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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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あなたに一番近い場所

17/08/28 コンテスト(テーマ):第141回 時空モノガタリ文学賞 【 黒板 】 コメント:0件 そらの珊瑚 閲覧数:104

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 眼を開くと、私は白い霧の中に浮かんでいた。
「お目覚めですか」声の方を見ると、だぶっとしたサッカーのユニフォームを着た男の子が立っていた。
「ここはどこですか。あなたは誰?」そう尋ねると、男の子は云った。
「ここは通称『通路』です。そしてボクは、たまころがしです。ですが、ころがすのは球ではなく、魂です。死んだ人の魂をころがすのが僕の仕事です」
「死んだ人の、魂?」
「はい、例えばあなたの事です」
 私は死んだ? 徐々に記憶が蘇ってきた。あの日仕事からの帰り道、突然胸が苦しくなり道に倒れた。全てがゆっくりとシャットダウンしていった。まさか、あのまま死んでしまったなんて。
「大変残念ですが、あなたは一か月前に心臓発作でお亡くなりになってます、享年25歳と記されております」たまころがしさんはポケットから手帳を取り出して頁をめくる。
「この世に思いを残していかれる方は、この通路で目覚めるのです。そして現世に戻れる機会が一回だけ与えられます。現世に戻るには、魂の入れものが必要になりますが、生き物には全て魂が宿っているので、モノに入るのです」
「モノ、として生きるという事ですか?」
「おっしゃる通り。住み慣れた家のソファだとか、大抵は思いを残された人の近くを希望される方が多いです」
 あの家にはたいして思いは残っていない。元々夫の親が建てた家で、夫と結婚して同居したが、家事の苦手な私にとってしっかり者の義母は有難くもあったが、少々窮屈な存在だった。だから結婚後も私は働き、リビングのソファでくつろぐこともなかった。
「だったら夫の仕事場にあるモノがいいわ。夫は大学で数学の講師をしているのです。結婚してまだ一年なんです。もっともっと一緒にいたかった……」
 実際には涙は流れてはいなかったが(眼球というものがないのだから当たり前か)泣かずとも充分すぎるほどの悲しみがやってきた。
「お察しいたします。ですが悲しみが深ければ深いほど、エネルギーとなり、タマウツシはうまくいくのです」
「タマウツシ?」
「はい、魂が移る事をそう呼びます。で、どうしますか? 何に移られますか?」
 大学の教室……扉、窓、教壇、黒板。そうだ、黒板がいいかもしれない。あの人に触れてもらえる!
「黒板にします」
「分かりました。的が大きいので、やりやすいと思います。前回は針という方でして、少々苦戦しました」
 針になりたいとはどういう人なのだろう。針仕事も苦手な私には全く分からない。
「では行きますよ」
 たまころがしさんの右脚が思い切り私を蹴った。魂を『たま』とも読むその訳を知った気がした。私は一つの球となり、あなたに一番近い場所をめがけて飛んでいった。

 黒板になってみると夫の講義のある時間がやってくるのが待ち遠しかった。夫の握ったチョークが私に数式を書いてゆく時、くすぐったかったが無上の喜びだった。私には難しい数式など理解できない。けれど、そのどれもがちゃんと最後には答にたどりつく。そんな素晴らしさを夫と共に共有したような気がして、誇らしかった。
 人間よりも数字の方が好きなんだと云っていた夫と、なぜ結婚に至ったのか今も不思議でならない。
「人間だって捨てたものじゃないと思うけど」私が云ったあの言葉で「じゃあ、試してみよう」と付き合うようになったのだが。
 私が死んでも夫は何一つ変わっていないように見える。もしかしたら悲しいのは私だけなのだろうか。
 そんな考えが浮かんだ日は、黒板になった事を後悔した。悲しいけれど泣けない事は(黒板にも眼球はない)悲しみには永遠に答えがないように思え、更に悲しくなった。

 あれからどれ位時が過ぎただろう。夫の顔は年老いて、頭髪の半分は白くなった。チャイムが鳴り、いつものように授業が終わる。数人の学生が夫の元へ集まってきた。
「教授、長い間お疲れ様でした」その中の女生徒が赤い薔薇の花束を夫に手渡した。
「今日が僕の定年だってよく知ってたなあ。これは……薔薇だね」
「先生、その花が薔薇ってよく知ってましたね」「ちょっと失礼よ」「すみません」
 夫の眼が笑っている。
「いいんだよ。実際僕は数字にしか興味がない男だから。花の名前は薔薇しか知らないんだ。亡くなった妻が好きな花でね。時々赤い薔薇を買って仏前に供えるんだ。僕の母親は仏前に供える花は白い菊でなけりゃおかしいって云うけど、聞き流してね。母親は八十五歳になるけど、元気でぴんぴんしてる」
「先生の奥様、お亡くなりになって何年ですか?」
「今年で30年。でもなぜか今でも傍にいるような気がする。この教室に来ると強くそれを感じるんだ」
 お義母さん、長生きしたのね、良かった。
 どこかでホイッスルが鳴る。まるで試合終了の合図のように。ひとかけらの未練もなく、私は黒板にさよならを告げた。


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