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和泉結枝さん

書きたいものを、書きたいときに、書きたいように、少しずつ書いています。Twitter→@0izumiyue0

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黒板の授業

17/08/14 コンテスト(テーマ):第141回 時空モノガタリ文学賞 【 黒板 】 コメント:0件 和泉結枝 閲覧数:149

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 私は、黒板に字を書くのが苦手だ。
 思ったことはないだろうか。慣れた筆記用具で慣れた水平面に書くのと、慣れないチョークで慣れない垂直面に書くのとでは、感覚が違い過ぎると。ただでさえ自分の字に自信がないのに、どうせすぐに消されるのに、わざわざ先生とクラスメートの前で披露しなければならないなんて、もはや罰ゲームでしかない。学校生活においてこんなに重要なスキルなら、数学や英語の授業だけでなく『黒板の授業』も導入して欲しい。憧れの人に内心笑われているんじゃないかとか、何だあれダッサと思われているんじゃないかとか、そう考えるだけでもう、家に帰りたくなる。
 だから私は、今日も練習する。恥ずかしいのでこっそりと、誰もいなくなった放課後の教室で、黒板に字を書く。その日ノートに写した文章を例文に、感覚とコツを掴む作戦だ。
 ただ放課後とはいえ、誰にも見つからずに練習するのは難しい。クラスメートが忘れ物を取りに来たり、隣のクラスの誰かが通りかかったりする。そんな時には忘れ物を取りに来てますアピールと、そのついでに落書きを消してますアピールをしていた。
 長時間ではないし、人が来ると足音で分かるから、私の作戦の成功率はまあまあだったとは思う。でも、だからだろう。
「こんな時間まで何やってるんだ」
 全然気がつかないまま声をかけられた時は本当に驚いた。教壇から落ちかけて、逆に心配させるくらいに。
「おいおい、大丈夫か」
「だ、大丈夫です。すみません」
「いや、先生こそ驚かせて悪かった」
 先生は教室に入ってくると、やっぱり黒板に目を向けた。
「ええっと、先生、これはその」
「……板書の練習か?」
「…………ハイ」
 黒板をじっと見つめる先生から視線を外して、ぎこちなく頷いた。適当な言い訳が思い浮かばなかったから仕方ない。
 終わった。残念な奴だと思われて、その後早く帰りなさいと言われる所まで一瞬で想像した。
「そこの文章とか、よく書けてるじゃないか」
「……え」
 黒板の一箇所を指差された時、想像と違う反応に、すぐには返事ができなかった。私は話す方も不自由なのだろうか。
「ほら、そこの一文。今日授業でやった」
 それは今日の先生の授業で扱われた小説の一文だった。言われてみればここだけは少し、本当に少しだけど、他よりましかもしれない。力を入れて書いたからだろうか。
 先生は黒板の前に来ると、チョークを手に取った。
「思いきって一息に書いた方が、線がぶれないぞ。あとは少し線が細いから、チョークの太い面で書くようにすると、線も太くなってしっかりした字に見える」
 気持ちの良い音を立てながら、文章が繋がっていく。それは私が書いたのとはまるで別の綺麗な字で、綺麗な物語だった。
「すごい……先生すごいですね」
「先生だからな、これでも」
 私の平凡な感想に、先生は冗談めかして笑った。授業の時よりずっと近い声と表情だからか、一番私たちに歳が近い先生だって、本当に良く分かる。
 区切りの良い所まで書き終えてから、先生はチョークを置いた。
「それにしても、何で板書の練習をしてたんだ?」
「…………授業にもっと真面目に取り組みたいと思って」
「何だか今までが真面目じゃなかったみたいに聞こえるな」
「あああ、そうじゃなくて!」
「悪い悪い、冗談だ。真面目に頑張ってると思ってるよ」
 さすがに誰かに幻滅されたくないから、とは言えなくて、何とか違うことを言おうとしたけど、だめだった。今日は失敗してばかりで嫌になる。また笑ってくれたから、何とか大丈夫と思いたい。しかもさらっと褒められて、とても困った。
「でも懐かしいな。実は先生も板書が苦手で、昔からよく練習してたんだ」
「え、先生がですか?」
「恥ずかしいから、他の人には内緒な」
「……じゃあさっきの、黒板で字を書く時の秘密のコツですね」
「ああ。忘れずに練習しろよ」
 嬉しさを隠そうと私も冗談っぽく言ったら、思いがけず優しい笑顔が返ってきた。固まる私に、あんまり遅くなるなよ、と釘を刺すことを忘れずに、先生が教室のドアへ歩いていく。慌ててお礼を言うと、帰り気をつけてな、と言って、先生は教室を出ていった。
 一人に戻った教室で、私はしばらく動けなかった。心臓だけが忙しく動いて、教員志望と思われたのかな、とじわじわ思った。まあそれでも良いや。今は。
 深呼吸して、再びチョークを手に取る。さっきまで先生が使っていたチョークだ。
 太い面で、一息。
 秘密のコツを繰り返しながら書いた最初の字は、さっきまでよりずいぶん上手になったように見えた。この小説を、最後まで書き続けてみたくなった。今日と、明日と、その次の日と。
 書き終わるまでに、もう一回だけでもチャンスが来ないかな、と少しだけ期待を抱いて、黒板にチョークを走らせ続けた。


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