浜川 流木さん

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17/08/14 コンテスト(テーマ):第141回 時空モノガタリ文学賞 【 黒板 】 コメント:0件 浜川 流木 閲覧数:47

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 丁度、円卓を囲んで、僕と母と祖父は朝食を食べていた。
 
 祖父は、三か月前に転んで頭を打って、正気を失った。病気一つしない、元気なじいちゃんだったけれど、今ではへの字によじれ曲がった口の隅から涎を垂らし、震える手で持ったスプーンを必死に口に運ぼうとしている。
 「もうおじいちゃん、片付かないから早く食べてよね」
 母はもう壊れたCDプレーヤーみたいに同じことをまた祖父に言った。
 おそらくはこれで三回目だ。

 目玉焼きは太陽系の形みたいだった。
 黄身は光り輝く太陽のように、明りの光を照り返していた。
 「あの医者、どうしてもう治療は必要ないなんて言ったんだろ」
 僕がボソッと、母に聞くと、母は味噌汁を啜りながら、祖父の涎を布巾で拭き取った。
 「私たちには理解できない事なのかもね。おじいちゃんが居なかったら、私もあんたも、居なかったわけだし」
 インテリジェント・デザインなんて学説が大真面目に議論されている、なんて話を僕は不意に思い出した。
 この宇宙、この銀河、この地球は、あまりにも生物にとって都合よく出来ている。全て偶然の産物だ、なんて言ってしまえばそれまでだけれど、偶然では説明もつかないようなことが幾つも起こっているらしかった。
 生物がこの地球上に存在し、かつ繁栄できること自体、宝くじが当選する確率くらい、難しい事らしいけれど、僕はそんなことは全然どうでもよかった。
 そんなことよりも、今は、電車に間に合うように身支度を整えなくてはならないことを最優先に考えなければならない。
 祖父は、それから頭をくいっと上に向ける。
 もう要らない、という合図だ。

 母は食器をまとめて台所に持っていく。全部いつもと同じ流れだった。で、僕が歯磨きを終えて居間に戻ると、じいちゃんは必ず煙草を吸っている。震える手の人差し指と中指で煙草を挟んで、器用に口まで持っていく。
 そんな思いまでして吸うなんて、だったら、いっそやめちまえばいいのに、と思いながら、僕も煙草に火をつける。そのままカバンを持って玄関を出ていく。

 じいさんは、無色透明だった。
 もしかしてこの家から一歩でも外に出たら、誰も存在に気付かないんじゃないかと言うほどに、なんだか存在感がない。
 全部あの怪我がぶち壊した。
 近所でも祖父は評判が良かった。しっかりしていたころは一緒に遊園地や博物館にも連れて行って貰った。
 博物館の中で撮った写真は、今でもアルバムの中にとっておいてある。
大昔に生きていた恐竜の化石をバックに、僕は頗る真面目な顔をして、祖父は、微笑みながら写真に写っていた。
 だが、その時、祖父がどんな風な声をしていたか、その時に僕は何の化石を見て喜んでいたのか、はっきりしない。
 祖父は今でも覚えているだろうか。祖父がもし綺麗さっぱり忘れてしまっていたら、あの博物館であった事した事、全部無かったのと一緒なのかもしれない。

 革靴を履いている玄関の壁には、祖父が据え置いた黒板がある。
 祖父はマメな性格で、自分の手帳に予定を事細かに書き連ねて、それでも忘れては困ると、その月の初めに、メモの予定を玄関の黒板に書いていた。
 一か月分、三十一個のマスがあって、ところどころに予定が書かれていたけれど、丁度、祖父が怪我をした月からぱったりと更新されることはなかった。
 近々この黒板も撤去されるだろうと思っている。
 無駄に、学校の教室とかに置いてありそうな大きな黒板だったから、ゴミ処理場に持っていくのも大変だろうなと思った。
 おそらく、玄関の扉は遠慮なく外す他に無いと思う。
 それから隣の柴田さんから軽トラックを借りて、荷台に括り付けなければならない。料金はいくらくらいかかるだろうか、行ってから断られたりしないだろうか、そればかりが不安の種だった。

 爺ちゃんの中の記憶は一体どうなってるんだろうと思う。
 時間を感じる心も、誰に話しかけられているのか、どう反応すればいいのか、そこらへんも、頭の中ではあるんだろうか。
 もしそうだとしたら、爺ちゃんの事だから、絶対黒板は自分でゴミ処理場に持っていくと、ウソでも見栄はって言うだろうなと思う。
 けれども、もうじいちゃんは爺ちゃんではない。爺ちゃんの中の時間は、時計の針みたいに回っているんだろう。
 出なきゃ朝食の時にわざわざ寝床から起き上がることもないし。
 きっと爺ちゃんの頭の中の時計は、ダリの絵の中の時計みたいに、フニャフニャに萎れている。
 沢山あるのだけれど、どれも正確な時間は示していない。
 僕は母の怒声を背中で聞いて、電話を切るように扉を閉める。
 遠くから踏切の音が聞こえる。
 多分あれは僕が乗らなければならない電車だ。
 十分は早く出たと思っていたのだけれど、これじゃ間に合いそうもない。


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