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tomomiさん

アルパカです。間違えました、アルパカ好きの主婦です。どうぞよろしくお願いします。

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十五年前の約束

17/08/13 コンテスト(テーマ):第140回 時空モノガタリ文学賞 【 育児 】 コメント:0件 tomomi 閲覧数:202

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 買い物から戻ると、玄関に見慣れた白い運動靴がある。
「あっ、奈々ちゃんおかえりーっ」
 部屋の向こうから制服姿のあかりがひょこりと顔を出す。
「あかり、今日食べてく?」
 私が言うと、あかりは急に顔を輝かせる。
「うん、素麺!」
「あんた、素麺好きねえ」
「だってこの家、素麺しかないんだもん」
「失礼ね、ありますよ色々」
 そんなことで笑い合える私たちは、二十以上も歳が離れている。あかりは姉の一人娘で、あかりにとって私は叔母だ。だけど私たちはある時期のほんの三ヶ月だけ、本当の母娘のように暮らしていたことがある。
「今日くること、姉さんに言ってきたの?」
「大丈夫だって、うち放任主義だから。それにいつでもここに来ていいよって言ってくれたの、奈々ちゃんでしょ?」
「まあね」
 この子にはいつも驚かされる。確かに私はそう言った。だけど十五年前の約束をあかりが覚えているなんて、そんなことがはたしてあるのだろうか。

 姉があかりを連れてきたのは、あかりがまだ一歳の歩き始めたばかりの頃で、二十代半ばの私はあまり稼ぎにならない絵の仕事で細々と生活していた。
 突然の結婚から一年と経たずにシングルマザーになった姉は、いきなり私のところにやってきて頭を下げた。
「お願い、今日一日、この子預かって!」
 まあ一日くらいならと、軽い気持ちで受けたことを少し後悔した。
 下に敷いた広告は見る間にビリビリに破られ、椅子を転がして遊び、友達がお土産でくれた置物を笑顔で壁に投げつけた。破壊神が来た、と私は恐れおののいた。
 とはいえもともと綺麗好きとは程遠い私は、嵐のような惨状の中、呑気に赤ん坊のスケッチを始めたのだった。
 結局その日、姉はあかりを迎えに来なかった。次の日もその次の日も、連絡ひとつよこさなかった。やがて、最初からそのつもりであかりを連れて来たのだと気づく頃には、「あかりスケッチ」は膨大な量になり、パラパラマンガができるほどになった。
「なーな、まま、なーな、まま」
 赤ん坊は私の目をまっすぐに見つめ、何かを訴えかけてくる。
 ななちゃん、ママはいつ帰ってくるの?
 そう言っているような気がして、私は切なくなって言った。
「ごめんね、わからない。でも、それまでは、私があなたのママになるから」
 その頃私の主食は素麺だった。素麺工場で働く母が、袋詰めで大量に送ってきてくれていたからだ。あかりにも細かくちぎった素麺をあげた。
「おいちぃ」
 あかりは口の周りに切れ端をたくさんくっつけて笑う。壮絶な毎日の疲れも、仕事を邪魔されても、それだけで全て吹き飛ぶような笑顔だった。
 そうして三ヶ月が過ぎたある日、突然姉が帰って来た。
「ありがとう。もう大丈夫だから」
 いったい、三ヶ月も子どもをほったらかしておいて何が大丈夫なのかと苛立ったが、この姉に何を言っても無駄だというのはよく知っていた。
 だから私は情けない姉ではなく、あかりにこっそり伝えた。
「あかり、これあげる。ここはあなたのもうひとつの家だから、いつでも来ていいからね」
 私は家の鍵を小さなお守りの袋に入れて、ひもをつけて首にかけてあげた。
「なーな、あぃーと」
 小さな手を振りながら、あかりは言った。
 ななちゃん、ありがとう。
 私にはしっかり、そう聞こえた。

 あれから十五年が経ち、あかりは高校生になった。私があげた鍵は、今は首ではなくバッグにじゃらじゃらつけられたぬいぐるみやらストラップやらに混じってひっそりと揺れている。
 私はといえば、「あかりスケッチ」が編集者に妙に気に入られ、それから児童書の挿絵の仕事が少しずつ増えるようになった。今では仕事も安定し、素麺ばかり食べているわけではないのだけれど、
「やっぱ、奈々ちゃんの素麺は世界一だね」
 あかりが素麺をすすりながらそんなことを言うから、ついつい常備してしまうのだ。
「普通の素麺だよ」
「なんか、貧乏時代の奈々ちゃんの汗とか涙とか色々詰まってる気がするんだよね」
「なにそれ。やだよそんな素麺」
 私はぷっと吹き出した。
 ときどき、あかりは十五年前の、一歳のときの記憶があるのではないか、と思うことがある。そうでなければ、私が貧乏だった頃をあかりが知るはずがないし、
『ここはあなたの家だから、いつでも来ていいからね』
 あの約束だって、あの一度きりしか口にしたことはないのだ。
 もしもあかりが覚えているのなら、あかりにとって、あの三ヶ月はどういう期間だったのだろう。
 母親に置き去りにされ、叔母に育てられた三ヶ月。
 今まで誰にも言っていないし、これからも誰にも言うつもりはないけれど、あの三カ月、私はこの子の母親だった。子を守りたいと思う、どこにでもいる母親だったのだ。


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