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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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パパになった日

17/08/13 コンテスト(テーマ):第140回 時空モノガタリ文学賞 【 育児 】 コメント:0件 そらの珊瑚 閲覧数:61

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 昨日と同じような何の変哲もない朝が来て、僕は妻と向かい合ってハムエッグ乗せトーストを食べていた。妻と向かい合うのは正直にいうと苦手だが、二人掛けのテーブルだから仕方ない。
「あのさ、今度いくじきょうしつ、っていうのがあるんだけど、行かない?」
 いくじきょうしつ? それは僕にいくじがない事への嫌がらせ? 子供じゃあるまいし、三十五才の大の男が、何が悲しくて、いくじきょうしつ? 僕は一週間前の妻との会話を思い出した。妊娠七ヵ月の妻から「立ち合い出産してみない?」と唐突に云われたのだ。あやうく僕は、コーヒーを吹き出しそうになり、妻のお気に入りの白いテーブルクロスにシミをこさえるところだった。まったく女というものは、なんでいつも直球(それも豪速球)なのだ! まずはボールを投げて、相手の様子をみようという気がさらさらないようだ。
 そういえば一年前、高校の同期会で出会って三日後に妻からの「つきあわない?」で交際が始まり、半年後に「子どもが出来たかも」で結婚を決め、「いい物件がある」と連れていかれてマンションの三十年ローンを組んだ。もちろん妻の事は好きだ。云った事はないけれど、愛している。(と思う)だから直球を前にしてバッドさえ振れない打者でも、幸せだと思う。
 だけど立ち合い出産はハードルが高すぎる。怖ろし気な、いや、怖ろしさしか感じられないものをやってみないか、だと? 僕は勇気を持ってバットを振ってみた。
「立ち会ってあげたいのはやまやまですが、それはちょっと僕には無理かもしれませんです」
「えっ何で? 見たくないの? 赤ちゃんがこの世に産まれてくるとこ」
「見たいか見たくないかと云われれば、見たい気もしますが、でもそれは直後でなくていいです。いろんなことが落ち着いたあと、最後の最後の方で結構です。赤ちゃんって血まみれで産まれてくるそうですよね、僕、血が苦手なんです」僕は緊張すると敬語になってしまう。
「そうなんだ。じゃ、しょうがないか」明らかにあの時、妻の眼が『このいくじなし』とものがたっていたのを見た。
そして今日の朝である。どんな教室だかあやしいものだが、僕に足りない「意気地」をつけさせようと妻はもくろんでいるのだ。
「いくじなしの夫ですまない。だけど、今更僕にいくじなんかつくわけないと思う。本当に申し訳ないことだけど」
 妻は最後に残ったトーストの耳を口に入れて、怪訝な顔をした。僕の渾身の、だけどふがいないスイングの先、ぼてぼてと転がってゆく球が見えるようだった。
「いったい何の話?」
「意気地のない人のための意気地教室の話」
「……やっだー、そっちの意気地じゃなくて、育児、児を育てるって書く方の」
 紛らわしいにもほどがある。そのあと妻があんまり笑うものだから、酸欠になってお腹の赤ちゃんに悪い影響がないだろうかと本気で心配したほどだった。
 妻の爆笑が過ぎた頃、すっかりコーヒーはぬるくなっていた。「淹れなおすね」僕は二人のマグカップをキッチンに持ってゆき、やかんに水を注ぎ、火にかける。
「じゃあ、育児教室、申し込んどくね」
 いくじきょうしつ……妻がまた笑っている。
「出産は一人で頑張るけど、育児は一緒にしてね。私だっていろいろ不安なこともあるしさ」
「もちろん。意気地はないけど、その意気込みはあるよ」
 僕の打った球は、たぶん今頃、青い芝生で力なく転がっていて、妻は思い出し笑いを繰り返している。
 後日、妻と参加した育児教室は、沐浴の仕方や、おむつのやり方、ミルクのやり方などを、赤ちゃん人形で練習した。人形は寝かせるとまぶたを閉じて、抱くとまぶたが開く仕組みになっていて、少しばかり不気味だったけれど、そのことは妻には云わないでおいた。

 妻の出産は、結局、帝王切開になった。微弱陣痛が長引いて、自然分娩するには危険だったからだ。どっちにしろ、僕には立ち合い出産は無理だったのだ。
「はじめまして」
 小さなベッドの中に寝かされていた我が子に対面した。赤くてしわしわで、おせじにも可愛いとはいいがたかったが、世界で一番愛しいと思えるような人間だった。
 この愛しさをいつまでも覚えていよう。
 小さな手のひらの上に、僕のひとさし指を置いてみる。僕の指をぎゅっと握ったその力が、想像以上に強くて、つかまえられた僕は一瞬うろたえた。沐浴、おむつ、ミルク、育児教室で習ったことなど、みんな忘れてしまった気がした。初めての対面の時、どうしたらいいのだっけ? 何が正解なんだろう。そもそも育児に正解なんかあるのだろうか。
 そんな僕の様子を、隣のベッドで寝ている妻が笑っていた。今まで見たことのないような安らかさで。

 ええっと、まったくもって、いくじのない人間ですが、なるべくがんばりますので、今日からどうぞよろしくお願いします。
 


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