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悠さん

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性別 女性
将来の夢
座右の銘 日の光を借りて照る大いなる月たらんよりは、自ら光を放つ小さな灯火たれ。

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チョークと先生

17/08/06 コンテスト(テーマ):第141回 時空モノガタリ文学賞 【 黒板 】 コメント:2件  閲覧数:161

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予鈴が鳴る。
次々と席を立つ人波に紛れ、千紗子も教室を出た。あまり目立たぬように、しかし出来るだけ早く。先生のいる、生物室へ。千紗子は教科書を抱きしめ、早足で廊下を歩いた。
生物室には既に半数近いクラスメイトが移動していた。人の合間を縫うようにして、左端の一番前の席に着く。黒板が見えにくいだとか、何かと不満が多い席だが、千紗子にとってここは特等席だった。
教科書を置き、セーラー服のリボンを直す。スカートの裾も、気持ち整えておく。手持ち無沙汰になって前髪をいじっていると、本鈴が鳴った。
先生が来る。
「はーい、授業始めます」
間延びした声とともに、隣の準備室から顔を出した先生。相変わらずしわの寄った白衣を着て、伸び気味の髪をぽりぽりと掻いている。眼鏡の奥にはクマができており、にこやかな表情とのアンバランスさでますますやつれて見える。
横田先生。
千紗子は今日、この授業の為に登校したと言っても過言ではなかった。
「起立、礼、着席」
日直の号令は、少し遠く千紗子の耳に届いた。
「今日は、えー教科書P145の続きから…」
硬めのバリトンが教室に響く。軽く前回の復習をした後、先生はチョークを手にした。カッカッと音を立てて、黒板に文字を浮かび上がらせる。
柔らかく落ち着いた佇まい。
すらりと長く、それでいて骨張った指。
どきりとする。
千紗子は、黒板に向かう先生から目が離せなかった。
チョークを持つ先生の指を、美しいと思った。
今年の四月、初めて先生の授業を受けたあの日から、千紗子は先生の指先を目で追うようになった。それまで指にフェティシズムを感じたことなどなかったのに、今は先生が黒板を向くたび釘付けになってしまう。
「この場合優性遺伝は…」
そんな千紗子の視線には気付かず、先生は授業を展開している。気づけば黒板の半分以上が文字で埋まっていた。千紗子ははっとしてノートに書き写す。先生の授業ではいつもこうだ。先生の指に見とれてしまって、内容が入って来ない。
先生の手元をスクリーンに映す時は形の良い爪を見てしまうし、解剖の授業でも蛙よりメスを持つ骨張った関節に目がいってしまう。自分でも驚くほど、先生の指ばかりを追いかけている。
でもやっぱり、と千紗子は思う。
メスよりピンセットより、チョークを持った時が一番美しい。黒板にチョークを走らせるあの指先に、どくどくと心臓が高鳴る。
あの指に触れたいと思った。
あの指に撫でられたいと思った。
あの指を、舐めたいと思った。
「もっと言うと……ああ、今日はここまでですね」
腕時計を見た先生がカタンとチョークを置く。少しおいてチャイムが鳴り、あちこちでシャーペンをしまう音がする。惚けていた千紗子はギリギリまで板書しつつ、日直の号令で立ち上がる。
「起立、礼」
軽く頭を下げただけのやんちゃな男子が教室を飛び出していく。次いで派手な女子のグループ、中堅の女子グループと教室を出て行った。そのどこにも属していない千紗子は、再び席に着きノートを取った。
「ヨレ田の授業相変わらず眠いわ〜」
どこからか聞こえた先生の悪口。よれよれの白衣を着ている横田先生、でヨレ田らしい。そんなあだ名が浸透しているくらいには、先生はいけてなかった。それでも千紗子にとって、先生は特別だった。チョークを持つ動作だけで、先生は千紗子を魅了した。
板書を終え、そそくさと荷物をまとめて席を立つ。先生は黒板消しと格闘していた。いつもより力のこもった指先に心惹かれたが、この状況で先生を見つめ続ける訳にもいかない。
いつか、先生の指に触れられる日が来るといいな。
白衣の背中にそう願って、千紗子は生物室を後にした。


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このストーリーに関するコメント

17/08/21 トツナン

拝読しました。
指・指・指! 清々しいほどに授業内容に集中していない主人公『千紗子』のときめき具合が伝わってきました。視点が指からブレないのは素晴らしいと思います。もちろん、横田先生あってこその指なのですが、この場合は、指と黒板あってこその横田先生で、いっそ横田先生はおまけみたいに思えてくる。とはいえ、彼女の中の指の美学の背景やきっかけがきっとあるはずで、それを自覚した時に彼女の物語は動き始めるのだろうなあ、と思えました。面白かったです。

17/09/08 

トツナン様

コメントありがとうございます。
気づくのが遅くなってしまいすみません。
「指と黒板あってこその横田先生で、いっそ横田先生はおまけみたいに思えてくる」私が書きたかったのはまさにこれで、読み手にちゃんと伝わっていた事が嬉しいです。
千紗子の背景にまで目を向けてくださった事も、とても嬉しいです。ありがとうございます。

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