野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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river

17/07/27 コンテスト(テーマ):第139回 時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:4件 野々小花 閲覧数:703

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 中学三年の夏休み、僕は誰とも遊ぶ気分になれなかった。黙々と机に向かい、宿題を片付けていく。最後に、作文だけが残った。テーマは「旅」だ。クラスの皆は、家族旅行の話でも書くのだろう。そこには、楽しい思い出が綴られているはずだ。でも、僕にはそんな作文は書けない。
 夏休みに入ってすぐ、僕の名前は変わった。両親の離婚に伴い、母親の旧姓を名乗ることになった。十三年間「杉原秀一」だった僕は、一週間前から「小野寺秀一」だ。自分の名前なのに、見も知らない人間のようだと思う。なんだか、もやもやする。机の上には、一行も書けないままの原稿用紙。
 いつだったか、自転車で旅をするひとのドキュメンタリーを見たことがあった。気持ちよさそうにペダルを漕ぐそのひとのことをふいに思い出して、僕は、なんだか居ても立っても居られず、帽子を被り、家を出た。

 家の近くには、古賀川という大きな川が流れている。この川のある街で、僕はずっと暮らしてきた。両親の配慮で、幸い転校はせずに済んだ。住宅地を抜けて、川沿いの道を走る。八月の晴れた日。少し漕ぐだげで汗がにじむ。「一級河川・古賀川」という案内看板が、道路わきにある。
 川のほうから歓声があがって、視線をやると、細長い船が何隻か見えた。レガッタだ。何かの大会らしい。川面をすべるように船は進んでいく。そういえば、一度だけ、父さんとレガッタの大会を見に行ったことがあった。まだ、小学校にあがる前だった。
 父さんは、良く言えば、おおらかな人柄だ。悪く言えば、大雑把。母さんは、小さなことにも気が付くから、気配り上手だと周りからは思われている。でも、神経質すぎるところがある。結局は相性だ、と両親は僕に言った。離婚の原因は、正直なところ、僕にはよくわからない。口喧嘩が絶えず、決して居心地の良い我が家ではなかったけれど、それでも僕はずっと、三人家族でいたかった。

 ずいぶんと走った。気が付けば交通量が減って、もう知らない道だ。風景もそう。初めて見る田園地帯。でも、川は同じだ。同じように水は流れている。
 いや、なんだか、少し様子が違う。目を凝らしてたけど、夏の日差しに川面が反射して、よく見えない。邪魔にならない場所に自転車を置いて、僕は土手を降りた。
 透明に近い水だ。川底の石が見える。濃い緑色をした藻がゆれているのがわかった。僕の知っている古賀川は濁っている。違う川みたいだなと思いながら、土手を登ろうとしたとき、案内看板が目に入った。「一級河川・千沙川」と書かれている。
 どういうことだ。僕はひたすら古賀川沿いを走ってきた。なのに、なぜ名前が違うんだ。周囲を見回すと、テトラポットの出っ張り座っている男がいた。麦わら帽子をかぶり、釣り糸をたらしている。
「あの、すみません。この川って、古賀川じゃないんですか」
 僕がたずねると、その男が振り返った。ずいぶん日に焼けている。深いシワを寄せて、ニカリと笑う。
「あの橋、見えるか」
 男の視線の先には、赤茶色をした橋があった。ここから五百メートルくらいの所。僕の家がある方向だ。見えます、と返事をする。
「鉄道橋だ。今は廃線になって、電車は走っていないけどな。あの橋から向こうが古賀川で、こっちが千沙川だ」
 このままずっと上って行けば、また別の名前になるのだと男は教えてくれた。川の名前は、変わるのだ。
「もっと上流だと、飲めるくらいの水質になる。魚もたくさんいる」
 ここは、あんまり釣れない、と男は笑った。そうですか、と僕もつられて笑って、ほんの少し、一緒に川のそばにいた。
 太陽が傾いていることに気づいて、僕は男に別れを告げた。来た道を引き返し、ちょうど鉄道橋と道路とが繋がる場所で自転車をとめる。道路のほうには、踏切の名残りがあった。
 ここから先が、古賀川。そして向こうが、千沙川。川は、ずっと、長い旅をしているのだ。名前を変え、水質すらも変わって、それでも流れていく。誰が決めたのか、川は、同じ名前ではいられない。僕もそうだ。一週間前に、変わってしまった。
 名前が変わったら、僕の本質も変わるのだろうか。ただ悶々としている今の自分から、少しは前向きな人間になりたいと思う。三人家族じゃなくなっても、いいじゃないか。父さんはずっと僕の父さんで、母さんはずっと僕の母さんだ。僕はこの先も、ずっとふたりの息子なんだから。
 
 自転車を漕ぎながら、今なら、手つかずのままの作文を書けるかもしれないと思った。きょう自転車で、少し遠くへ旅をしたこと。川は、ずっと遠くから旅をしてきて、この先も旅をしていくのだということ。
 僕はそれを、新しい名前で書く。まだ馴染みのない名前だけど、「小野寺秀一」は、それほど嫌な響きではない。そう思いながら、僕は自分の暮らす街へ、ゆっくりと帰って行った。



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このストーリーに関するコメント

17/08/09 むねすけ

読ませていただきました
映像が鮮やかに見えてくる精緻でありつつ流れるような描写が読み心地抜群で、サラリとした釣りのおじさんとの会話も、人生の旅の中の誰かとの瞬間的な重なりを見事に表現されているように感じました
素晴らしい作品だと思います

17/08/13 野々小花

むねすけ様

コメントありがとうございます。
川の近くで暮らしているおかげで、ふと思いついた話でした。
久しぶりの投稿で緊張しましたが、あたたかいお言葉に救われました。ありがとうございました。

17/09/05 光石七

拝読しました。
目に浮かぶような情景描写と合わせ、主人公の新たな名前に対する戸惑いとそれを受け入れていく様子が繊細に丁寧に描かれていて、自然と引き込まれました。
作品全体に優しく柔らかい雰囲気が漂っていて、読後こちらも優しく温かい気持ちになりました。
素敵なお話をありがとうございます!

17/09/06 野々小花

光石七さま

読んでいただきありがとうございます。
子供の頃に、川の名前が変わっていくことを知り驚いた記憶があります。ずっと書きたいテーマだったので、物語にできてよかったなと思っています。
とても嬉しいコメント、ありがとうございました。

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